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まちづくりシンポジウム(第2回)基調講演(2)

作成・発信部署:企画部 企画経営課

公開日:2005年4月6日 最終更新日:2009年3月31日

まちづくりシンポジウム(第2回)基調講演(1)からの続き

「安全安心のまちづくり」

○ 立正大学文学部助教授 小宮信夫

ただこの領域性についても、物理的にそのように区画をしっかりする、境界をしっかりさせても、そこに住んでいる人の縄張り意識が低ければ、簡単に犯罪者はその地域に侵入してきます。縄張り意識というのは、あまり日本語ではいいニュアンスでは使われませんが、動物であれば、どんな動物でも持っている本能です。犬が電信柱におしっこするのも、縄張り意識だそうです。非行少年グループがあちこちに落書きをする。これも非行少年グループの縄張り意識です。皆さんも縄張り意識を持っているはずです。こちらのお二人はきちんと整然と座っていらっしゃいますが、例えばこちらの方の手帳がこのあたりまで出ていたら、気分悪いですよね?これが縄張り意識ですよね。個人で縄張り意識を持っているように、地域でも縄張り意識を持っていい。
逆に縄張り意識が弱いと、警戒心なく犯罪者がそこに入っていきます。田舎に行くと、まだ縄張り意識が強いところがあります。よそ者が入ってくると住民がじろじろ見て、最後には「どちらにご用ですか?」と聞いてくる。下見に入った犯罪者が声をかけられたら、もう二度とその所にはきません。これが縄張り意識です。ですから、このような状況であれば、ここにきちんと仕切り版のようなものを立てる。これが物理的な領域性、物理的なバリアです。でも仕切り版を立てなくても、このように自分の縄張りが侵害されるようになったら、こちらの方が横を見て目線で合図をする。これも縄張り意識。つまり心理的にバリアを張る。物理的なバリアだけではなく、心理的なバリアも犯罪者には分かります。普通の人には分からない心理的なバリアも、犯罪者はそれを敏感に察知します。ですからそのような物理的なバリア、心理的なバリア、それが領域性というものを構成しているわけです。これが2番目です。
もう1つ、3番目。これを監視性と呼んでおります。監視性は仮に犯罪者に自分達の地域に侵入されても、この犯罪者の行動をきちんと把握できること。この犯罪者の行動をフォローできること。これが監視性です。犯罪者は誰かに見られているかもしれないというように監視性を高めているような地域では、そう簡単には最終的なターゲットまで接近してきません。そう簡単には犯罪の実行に着手しません。ですから領域の中に入れても、きちんと行動を把握できるということが重要です。この場合もやはり物理的にまず死角を失くすこと。見通しの利かない場所を失くすこと。これが大事です。先程領域性のために家には塀を作りましょうと言いましたが、例えば高い塀を作ってしまう。確かに領域性は高いです。しかし一旦中に入られたら、道路から中が全く見えなければ、今度は泥棒が余裕を持ってのんびりと中に入るというようなことを行います。ですから、塀もある程度の高さ、道路から中が見えるように、あるいは格子を交えたり、フェンスを交えたりしながら、監視性も高めないといけません。領域性と監視性の両方を満たすことが必要です。逆に今のように高い塀を作ってしまうと、道路も非常に危険になります。つまり両側の家から自然な視線が全く道路に注がれない。例えば犯罪者がそこでひったくりをする、連れ去りをしようとしても、誰かに見られているかもしれない、発見されるかもしれないと、そのような場所ではまず思わないかもしれません。あるいは一階がガレージになっているとか、大きな工場があって、ずっと長い高い塀が続いている。このような場所も同じです。そのような道路は監視性が非常に弱い、低いということであります。昼間は例えば低い塀で、両側の窓から視線が注がれているような感じがするというような道路でも、夜になって外灯が暗い。門灯も点いていない。そのようなところでは、昼間は監視性が高いけれども、夜は監視性が低くなるというような場合も十分あるわけです。そのように、まず物理的に見やすくする。犯罪者が好きなところは、見えにくいところです。逆に見えやすいところは、犯罪者は嫌います。そのように工夫することです。と同時に、やはり監視性についても、そこに住んでいる人の意識です。当事者意識と呼ぶのですが、当事者意識はその地域で起こる様々な事柄を自分自身の問題として捉える。そのような意識です。それが当事者意識です。なぜならば、いくら見通しがいい所でも見ようとしなければ発見できません。見ようとしなければ、見落としてしまいます。このようなことを目が節穴というわけです。ですから、いかに物理的に見通しがよくても、心理的な死角、心理的に目を閉ざしていては、犯罪に強い街にはなりません。そのような意味で当事者意識。これが大事です。
例えば今、日本全国的に監視性を高めるために、監視カメラをあちこちに設置し始めました。確かに監視カメラを設置した直後は、犯罪発生率は下がります。しかしその地域の住民が「ああ、これで大丈夫だ」、「監視カメラがあるから、もう犯罪は起こらないだろう」と思って、それまで行っていた地域の活動も全部やめてしまう。そして逆に地域の絆をどんどん弱めていく。そうすると、せっかく物理的には監視性を高めても、心理的には監視性を低くしているわけですから、プラスマイナスして、結果として監視性が低くなるということもあります。そのような地域は一旦下がった発生率は、またじわりと上がってきて、設置する前よりももっと犯罪が増えてしまう。このような地域も実際あるわけです。逆に一旦下がった発生率、そこの地域の住民が監視カメラは確かにありがたい。しかし、我々だってやることはいっぱいあるぞということで、監視カメラの設置をむしろきっかけにして地域の絆を強めたところ、当事者意識を高めたところは、2倍の監視性が向上することになりますから、その地域はぐっと犯罪発生率は減って、しかもそれが持続するということになるわけです。そのような調査結果が、イギリスの調査などでは出ているわけです。やはりこのような場合でも、当事者意識というのは非常に大事であります。
このように、抵抗性というのは日本でも行われておりますが、今お話してお分かりのように、領域性や監視性の対策というのはほとんど行われてきておりません。特にこの中でも今お話しましたように人間の意識。物理的にいくら領域性・監視性を高めていても、やはり最後の勝負は人間の意識です。監視カメラという機械の目。これを生かすも殺すも、そこの地域の住民の人間の目にかかってくるわけです。このような縄張り意識とか当事者意識を重視するのが、アメリカで実践されて欧米に広まった「割れ窓理論」と呼ばれているものであります。割れた窓ガラスというのは縄張り意識が低い、当事者意識が低い地域の象徴なのです。他にどのような例があるか。縄張り意識が感じられない、当事者意識も感じられないという地域というのは、どのような地域なのか。窓ガラスが割られたままという地域というのは「割れ窓理論」そのままですが、他にどのような地域がありますか。例えばごみがいっぱい散らかっている。落書きがいっぱいある。雑草が伸び放題。空き家が放置されたまま。放置自転車がいっぱいある。路上駐車がいっぱいある。夜中になると、お酒を飲んで大騒ぎをしている若者がいっぱいいる。そのような地域です。もしその地域の住民が縄張り意識や当事者意識が強ければ、そのような行為が野放しになっているはずがありません。ですから、ごみと犯罪は関係がないということではなく、実はそのような地域のちょっとしたほころびが、犯罪者を引き寄せている。つまり領域性・監視性が低いということを犯罪者に伝えているわけですから、犯罪者はその地域に入ってくるわけです。このようなことを主張するのが「割れ窓理論」です。
ニューヨークではその「割れ窓理論」を実践して、犯罪を半分にしたと言われております。イギリスなどではその「割れ窓理論」に基づいて法律まで作ってしまいました。ですから、そのような地域の縄張り意識とか、当事者意識というのは非常に重要であるということであります。例えば日本でも全国的に中心市街地の問題がかなり深刻になってきております。いわゆる商店街です。「割れ窓理論」の典型的な例でいうと、ある商店街の景気が悪くなりお店が1軒潰れ、2軒潰れる。シャッターが下りる。そこまでだったらなんでもないのですが、そのシャッターに落書きが書かれる。ごみ出し日でもないのに、そこにごみがあちこちに散らかっている。次の段階はそこに非行少年が入ってきて、夜中にたばこを吸いながら、お酒を飲みながらワイワイやる。誰もそれを止めない、ずっと放っておかれる。最後にはそのような状況を見ていたプロの犯罪者集団が「この地域はこのような落書きも放っておいている。ごみも放っておいている。こんな我が物顔な若者も放っておいている。」と思うわけです。つまりこの地域の住民は、自分たちの地域に関心がないのだとそう犯罪者は判断します。地域に関心がないのであれば、この地域に入って犯罪をしてもまず見つからないだろう、もし見つかってもまず通報されないだろう、もし見つかってもまず止められないだろうと思って、警戒心なく入ってきて気軽に最終的なターゲットに近づいて、ひったくりをしたり、空き巣に入ったり、色々なことをそこでするようになるわけです。そうなったら、その商店街はお手上げであります。ですから、ちょっとした地域のほころびを見逃さない。そのように連鎖する前に食い止める。このようなことを強調するのが「割れ窓理論」になります。
そのように「割れ窓理論」はその地域の住民の意識、これを非常に重視するわけですが、確かにそれはそうだろう。しかし問題は、どうやってその地域の縄張り意識や当事者意識を高めるのかということです。つまり、今日こうやってお集まりの皆様は地域に関心があるから、このような席に来て話を聞こうという気になっていますが、このような催しがあっても「そんなことは関係ない」と全く興味を示さない人達。全国的にそのような人達がどんどん増えているわけです。自分達の地域に関心がないという人達です。しかしそのような人達を巻き込んでいかなければ、その街は犯罪に強くなりません。どうやって巻き込んでいくか。私がいつもそのような時に提案しているのが「地域安全マップ」というマップ作りの作業です。「地域安全マップ」というのはこれから犯罪が起こりそうなところ、犯罪が起きやすいところ。つまり今日の言葉で言えば領域性の低い箇所、監視性の低い箇所。そのようなところを、地域の住民自ら街歩きをしながら探して、洗い出して、それを最終的には地図にしていくというものであります。このような作業をすると、どんどん地域に対する関心が高まっていきます。
しかし大人がやると、やっぱり地域にもともと関心がある人たちしかやらない。住民組織にしろ、PTAにしろ、もともと地域に関心がある人がマップを作っているだけでは、やはり無関心層を巻き込むことにはなりません。そこでどうやって無関心層を巻き込むか。これは学校の授業の中で、子供たちに「地域安全マップ」作りをさせる。
これが最も効果的です。無関心の大人を巻き込む手法として、これが最も効果的です。
まず子供に授業でマップ作りをさせると、当然子供の安全が確保できます。非常に今日本で不思議なのは、子供の安全対策について一体私達は何をしているかというと、抵抗性しか行っていません。例えば防犯ブザー。防犯ブザーは、犯罪者が子供の目の前に来て初めて使うものです。それから学校によっては護身術を教えたりしています。
あるいは連れ去り。手を捕まれたら、どうやってそれに対応するかという話をしている学校もありますけれども、それも全て犯罪者が子供の目の前に来た時に初めて使うものです。最後の最後の手段です。そんなことは使わないことが一番いいのです。防犯ブザーも護身術も使わないのが一番いいのです。だとすれば、なぜ使わなくてもいいような地域づくり、使わなくてもいいようなまちづくりをしないのでしょうか。非常に不思議です。子供に伝えるのであれば、防犯ブザーを渡すのではなくて、なぜ防犯ブザーを使わなくてもいいような場所を教えてあげないのでしょうか。地域は危ないところだらけ、子供にもどこが危ないか教えてあげないで、防犯ブザーを持たせているというのは、非常に無責任だと私は思います。
昔の日本人は非常に賢かった。きちんと領域性・監視性をしておりました。例えば大事なお殿様をどうやって守ったか。お殿様を守るために、まずお城を作りました。
お殿様を本丸において、お城を作った。このお城が領域性と監視性がよくできています。お堀を作ったり、石垣を作ったり、そう簡単には本丸まで行けません。石段は一歩半くらいの間隔で作っているそうです。一歩間隔で作るとすぐに上れてしまいますが、一歩半感覚で作ると走って駆け上がれない。そのような工夫をして、領域性を高めている。そう簡単にはお殿様には近づけない。しかも天守閣から周りが見渡せる。
監視性が高い。そうやってお殿様を守っていたわけです。今私達が子供の安全のためにしていることは、もし昔だったらお城は作らないで、お殿様に刀を渡して、敵が来たらこれを使って下さいと言っていることと同じです。防犯ブザーはそういうことです。犯罪者が近づいてきたらこれを使いなさいというのは、昔のお殿様にお城は作らないで、敵が攻めて来たらこれを使って下さいと刀を渡しているだけなのです。非常に不思議なことが日本で起きているわけです。
子供は「地域安全マップ」作りで街に出て、自分の目と耳で判断し、色々な地域の住民にもインタビューをします。そうやって地域の危ないところ、つまり領域性・監視性の低いところ。つまりそのようなところに行ったら防犯ブザーを使うことになるかもしれない、そのようなところに行ったら護身術も必要だということです。子供自身が、防犯ブザーも使いたくないし、護身術も使いたくなければ、そういうところに行かなければいいとなるわけです。どうしても行かなければならない時は、そこは危ないのだと今度は子供たちが自覚しておりますから、安全な道を行くよりはより注意力がアップして、隙を見せないようにして、つまり犯罪者に犯罪の機会を与えないようにして歩くことが出来るようになるわけです。しかし今日本は犯罪の原因論です。
とにかく不審者が現れると、気をつけなさい、注意しなさいというペーパーを渡しても、何をどう注意すればいいか子供はさっぱり分かりません。24時間注意しなさいということは無理です。これは逆に注意しなくてもいいということです。注意するということは、注意しない状況があって初めて注意できるわけです。注意というのは相対的な問題です。注意しなくていい場合があって、初めて注意できるのです。いつも注意しなさいというのは、いつも注意しなくていいですと同じメッセージになってしまいます。
佐賀県鳥栖というところで、子供の連れ去り犯を捕まえたら警察官だったという事件がありました。私もその時に佐賀のマスコミから取材がきまして、その地域はすごいショックを受けている。なぜならばその地域は、前から連れ去り事件が多発していて、地域ぐるみで色々な対策をしていた。ところがその中心になるべき人が実は犯人だったということで、地域の人はショックで一体何をすればいいのだろう、どうしたらいいのでしょうかというような質問を受けました。その質問を受けて私はこう答えました。「そういうことで警察官が犯人だったということが判って、地域がショックを受けたと聞いた私の方がショックです」つまりそれこそが犯罪の原因論なのです。先程から言っていますように、犯罪原因論は犯罪者の人格、犯罪者の境遇に注目する考え方です。常に犯罪者のイメージは持っているわけです。ですからそのイメージから少しでもはずれると、みんながびっくりしてしまう。犯罪者のイメージ。しかしそんなものは分かりません。私もよく聞かれます。不審者をどうやって見分ければいいのですかと。そんなことは分かるわけがありません。よく連れ去り犯防止のチラシなどを作ると、サングラスをして、マスクをしているような絵を描きますが、そんな連れ去り犯はいません。空き巣対策のチラシを作ると、唐草模様の風呂敷を背負っている泥棒を描きますが、そんな泥棒は今いません。犯罪原因論は、とにかくそのような犯罪者のイメージを作りたがってしまいます。そのため、それと違う犯罪者が登場したら、まさか警察官が、まさか少年がという話になります。
犯罪の機会論は、犯罪者はどうでもいいのです。とにかく地域を犯罪に強くするだけです。相手は誰でもいいのです。犯罪者は少年だろうが、外国人だろうが、暴力団だろうが、警察官だろうが、学校の先生だろうがそんなことはどうでもいいのです。
地域を犯罪に強くすれば、どんな犯罪者でも、その地域に入ってくることを防げるわけです。これが犯罪の機会論です。ですからパトロールも、不審者探しのパトロール。
これは犯罪原因論的なパトロールです。「どこかに不審者はいないかな」と探しても、そんなあちこちに不審者がいるわけではありません。そうしているうちに「なんだ、不審者はいないじゃないか。もう大丈夫だ」と思って止めてしまう。それから不審者探しのパトロールは飽きてしまうのです。「つまらないなぁ、あきたなぁ」とパトロール自体が衰退してしまうのです。しかし犯罪機会論的なパトロールは危ない場所を探すわけですから、これは無限に続きます。その地域の状況、物理的なものは改善できても、縄張り意識や当事者意識は日々変わっていますから永久に続くわけです。やることはいっぱいあります。例えば危ない箇所をパトロールしながら発見すれば「これはどうしよう」、「これは住民だけでなんとか改善できる」、「これはやはり行政に言わないと改善できないから、行政に対する要望書を作ろう」とかどんどん発展していきます。これが犯罪機会論に基づくパトロールです。同じパトロールでも全く違ってくるわけです。まず子供たちによるマップづくりは、子供自身のそのような被害にあわない、被害を回避する、そのような力や能力をつける。そのような意味で子供の安全を相当向上させる試みになります。
それから先程の話に戻って、無関心層をどうやって巻き込むか。例えば子供が地域安全という腕章をつけながら「地域安全マップ」つくりをする。一斉に街に出て行います。そうすると、そのようなことを無関心層の人が見ています。「あれ、何をしているのだろう」と。子供たちが「安全のためにマップ作りをしている」というような子供の姿を見たら、さすがに無関心な人達も子供ですら、地域のために何かしているのなら、我々も少し何かしなくては、これを放っておくのは確かに大人として無責任だなと段々気が付いてきます。それから子供たちは、家に帰ってその日のことを話します。「今日学校で『地域安全マップ』を作ったよ。あそこもここも危ないよ。このような見方をすればいっぱい危ないところはあるよ」とお父さんやお母さんは「そんなに危ない場所がこの辺りにあるのか」と今度はお父さんやお母さんが一人で歩いたときに、「確かに言っていたとおりだ」と全く地域の安全に関心がなかったお父さんやお母さんを巻き込むことができます。子供をうまく使って大人を巻き込んでいく。これが子供によるマップつくりです。
それから、そうやって子供たちが街歩きをすると、その地域のことがどんどん分かってきます。色々な新しい発見があります。そうするとその地域がどんどん好きになります。そしてマップつくりの時には、地域の住民に色々インタビューをします。そうすると「地域安全マップ」は危ないところを探すはずだったのが、実は地域というのは自分達を守ってくれているおじさん、おばさんがいっぱいいるのだということに気が付きます。そうすると、ますますその地域が好きになります。そうやって地域を好きになった子供たちが、地域に愛着心を持った子供たちが、やがて地域のリーダーに育っていくわけです。そうすればその地域は、ますます犯罪に強くなる。ですから、子供が学校の中でマップづくりをするというのは、単に子供の安全だけではなく、無関心層の大人を巻き込む。そしてもっと長期的にその街を犯罪に強くする。そのような壮大なスケールを持った試みなのです。是非、三鷹でもそのような取り組みをして頂きたいと思います。
ここで少し10分程度ですがビデオを見て頂きたいと思います。今お話したこのような理論的な話を、実際の街歩きで、場面でどのようになっているか。「地域安全マップ」づくりの場面も出てきますので、それを少しご覧になって頂いて、この講演を終わりにしたいと思います。ビデオをお願い致します。

まちづくりシンポジウム(第2回)基調講演(3)へ続く

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