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まちづくりシンポジウム(第1回)基調講演(2)

作成・発信部署:企画部 企画経営課

公開日:2005年4月6日 最終更新日:2009年3月31日

まちづくりシンポジウム(第1回)基調講演(1)の続き

三鷹市における地域ケア~地域連携・協力による自立支援~

新たな地域ケアの創造

(3)地方の時代の意味(福祉でまちづくり・福祉文化の創造)

地方の時代と叫ばれて久しい。確か1990年代の初めに、「福祉でまちづくり」というテーマで研究会をしました。三産研(三鷹市産業政策研究会)でした。今までは産業と福祉は別で、それぞれに聖域を築いていた。地域で車椅子の修理が出来るとか、もしくは地域の資源である産業と合体しながら、地域のバリアフリーをすすめていく。過疎の地方では、福祉でまちづくりは不可欠ですし、地域の産業が衰えると、地域文化も壊れ、自然も破壊され、若者の働き場所は限られ、活性化がない。そしてますます過疎が進んで衰えるという悪循環。まさには小売店も含めて地域の活性化は不可欠でしょう。地域像が曖昧なまま、また経済効率だけですすめる構造改革は、大切なものを破壊し尽くし、文化を衰えさせ、取り返しのつかない結果を招いてしまう。いきいきサロンをシャッター街の空き家で行う、個性のある生産を生み出す、パーソナルな情報整備を図る。そこに皆さんが来れば道の流れが出来るとか、都市計画や産業計画の中にも福祉は十分入っていけるところだと私は思っています。地域産業との連携が福祉でまちづくりということにもなります。
また、現在、福祉文化の意味、地域の成熟度が問われる時代となったと思います。ある県知事が大きなコロニーを廃止して、小さな、いわゆる小規模の施設を地域に作ろうとしました。色々な経過がございましたが、実はその地域によって、それを受け入れについては、大きな違いが出ました。地域ケアを考えるに際して、施設の役割が大きいことは事実です。と同時に、地域にある住宅としての性格を併せ持つ小規模施設が、全国に広がってきています。ある意味で、住民との距離が近づいてくる。地域生活の中に、自然と溶け込んでいく。住民の生活とかなり密接に結びついてくる。その時に問われるのは何かと言いますと、そこにおける合意形成と今まで培った福祉文化なのです。ある意味で色々な理論・議論が必要だと思います。最近、全国的な広がりを見せてきている施設が、小規模多機能施設です。小規模で、かつ多機能を持って、地域の中にある施設でございます。今、私は、「地域福祉型福祉サービス」に関する検討会の委員長をさせていただいております。熊本の「きなっせ」に調査に行きました。住宅地の中にあるのです。お年寄りが買い物に行きます。買い物に行って、その住民と会うと、「綺麗ね、この花。私、生まれてはじめてよ。」と言い、市場に行く。そして戻ってくる時に、「本当に綺麗。こんなの私生まれてはじめてよ。」365日2回出会っているわけでございます。地域の中にすっと溶け込んでいる。確かに、生活上のトラブルもあるでしょう。ただ、施設長の方から聞いた設立の動機を忘れることができません。以前、彼はホームの職員として働かれていた。そしてたびたび利用者の葬儀に立ち会った。数年入所して葬儀を迎える時に例えば親族の方や利用者、職員で15名の葬儀がある。この数年間の間に15名の葬儀に変わってしまった。これは地域と利用者との関係が切れた証拠ではないか。本来の老いを生きることは、今までの関係を維持し続けることではないか。確かに、地域生活とは密着するということは、様々なトラブルが生じる危険性がある。十分な議論と了解が必要でしょう。だれでも社会福祉サービスの利用者になる。ですから、住民同士が、また活動やサービスの担い手が、どういう地域社会を目指すのか、どのような福祉コミュニティを求めるのか。一つひとつ、話し合い、合意をすすめていく先に、成熟社会が築かれ、福祉文化として定着していくことが目指されなければならない。これなしに地域ケアの充実は、なかなか望めません。障害者の方々と一緒に計画を立てておりますと、彼らは言います。「私達には障害者文化がなかったかもしれない。」なぜかというと、家庭と施設、家庭と病院という関係はあったかもしれないけれど、地域の○○さんという言葉にはなっていかない。100メートル先のお店に行くのが難しい。
むしろ遠い病院や施設には行けるけど、地域の接点がなかった。私達がそこに住む障害者さんと言われて終わっているのではないか。もう一度地域ケア、地域の生活ということを捉える必要があるのではないかというように思うわけでございます。

(4)参加型コミュニティの推進

それから資料の参加型コミュニティについて少し話させていただきます。皆様方にとりまして、三鷹はどのようなところでしょうか。自分にとりまして、地域というところはどのようなところでしょうか。世田谷区で社会福祉担当として基本計画を作る中で、やはりどうしても直面したことは、都市計画を作って、安全な建物はできる、住宅も新しくなる。
でも、犯罪の発生率が伸びてしまった事実に直面した。そこには、住民同士の関わりが途絶え、コミュニティが壊れていたのです。
簡単に言うと、コミュニティとは、互いの相違を認めつつ、住民相互の関係を重視し、生活問題の予防と解決をめざす場であり、自己実現を図る場です。自分にとって、愛着と帰属意識をもちながら、共生の地域づくりをコミュニティとも呼んでいます。その意味では、新しい建物は整えたが、コミュニティが成立していなかったのではないか。
三鷹市で良く用いられる言葉に、「ガバメントからガバナンスへ」があります。その背景・前提には、コミュニティ行政、コミュニティ政策があり、コミュニティ・センターを軸にした様々な住民の活動があることは言うまでもありません。現市長さんは、以前から実際の活動の中におられた。日本では、従来から、行政もしくは意思の決定機関である政治が主導で、コミュニティを推進することができるという考え方が強固でした。そこには「お上」意識があり、「お上」に従うことで社会的秩序が維持されていた。また集団優位社会の中では、個人としての住民の姿が見えにくかった。まさにガバメントの考え方である。しかし、決定、実施プロセスそのものに、当事者である住民が参加し、住民がもつ生活者としての視点を各政策や事業に埋め込んでいき、住民と行政が協働してコミュニティを創造していくというガバナンスの考え方が、三鷹ではとても重視されています。住民は、政策動向やサービスの内容も分からず、自己の利益のみを優先させ、財政的配慮や計画的な政策実施、運営に関する配慮がないので、ボトムアップが必要であるという意見も散見されるが、ほんとうにボトムアップをしなければならないのは、財政しか資源としてとらえておらず、かつ生活者の視点が不十分な、当事者の目を失った計画者側であるという批判が説得力を増しています。
ただし、参加をすすめるためには、多様な機会が提供されなければなりません。配食を行うボランティア活動を考えてみたいと思います。調理と配食活動が火曜日の午前中に行われていたとします。時々、ボランティアから人が集まらないとの不安を聞きます。私のアドバイスは、お手紙活動を加えてはいかがでしょうか。お手紙を書くことはいつでもできる。食事を届ける時に、一緒に添える。また、献立を作るボランティアや広報紙をつくるボランティアがいてもいいではないでしょうか。活動の多様性の中で、参加者が増えてくる。参加とは、多様性を前提とします。

(5)自立支援とは?

資料の7番について話させていただきます。皆様方にとって自立とはなんでしょうか。
自分は自立していると思われている方はどれくらいらっしゃるのでしょうか。自立するために必要な能力を枡に例えます。そして障害が枡の半分になった。それが障害です。しかし半分には能力がある。人に思いやりをもって接することができる、笑顔をふりまける、必要に応じて相談できる人を得られる。能力は活用すべきです。ところが今までの援助は、障害を背負った時に、全面的な援助に踏み切る。私は、この対応は大きな間違いだと思っていました。障害があれば、それに対しては援助だが、持っている能力があればその能力の活用が優先されるべきです。
ボランティア・アドバイザーという人を設置している自治体もあります。ボランティア・アドバイザーとは、ボランティアを広げる役割を担うボランティアです。ボランティア活動をしたいが躊躇している人にボランティアを紹介したり、実際に活動している人の相談にのったりします。仙台で、アドバイザー研修を3日間行いました。その際、車椅子の重度の障害をお持ちの方がいらっしゃいました。その時、彼が笑って言った言葉を思い出します。「ああ、僕のボランティアとしての仕事が見つかった。僕には障害を持っているたくさんの友人がいるから、彼らが活動に参加できるように、頑張りたい」。まさに、それぞれに持っている能力を活用して頂く。これが地域ケアの原点です。
これは宮崎県のえびの市に行った時のことですが、高齢者を対象にしたふれあい・いきいきサロンを見学しました。参加なさって約20人の高齢の方の平均年齢が90歳でした。
ある女性は、「今日忙しい」とおっしゃった。「どうして忙しいのですか」とお聞きすると、「今日は息子のご飯を作る」と言われた。「息子さんはおいくつですか」とお聞きすると「息子は10年前に警察官を退職したのでいくつかしら」とのお答え。そして、「ボランティアありがとう」「元気でやってね」と声を掛けている。誰が当事者で、誰がボランティアか分からない相互交流の場。みんなが活動の担い手であり、参加する当事者になっていく。まさにそのような出会いの場。それがコミュニティの原則であるし、ある意味での(当日の資料)8番の新しい公共ということにもなると思うわけでございます。
余談ですが、イギリスのパブをご存じですか。パブでは、皆が集まり、ビールを飲みながら交流している。パブはパブリックの原型なのです。パブというのは、みんなが集まって、みんなが話し、みんなが寄り添っていくところ。それが公共=パブリックということなのです。まさに地域のいたるところに、その場を作ることが大切であると思うわけでございます。

(6)連携が地域ケアをすすめる。

最後に連携の際の留意点を申し上げて終わりに致します。まず大切なことは、課題の共有化の必要があること。つまりどのような地域課題があって、どのような困難な状況があるか、理解が広がれば広がるだけ、大きな渦としての取り組みが生まれる。傍観者ではなく、地域に生きる生活者として課題に気が付くことができるような、場を確保すること。
三鷹市で行ってきたパートナーシップ契約に基づいた住民主導による計画の策定会議は、その重要な場であった思います。課題の共有化から共感が生まれ育ちます。
若者の中には、「こんなに面倒をみてまで生きているのはエゴだ」と言う人がいるそうです。若者に限らないのかもしれません。その時、私は茅野市にある諏訪中央病院の鎌田實医師の言葉を思い出します。ある母親が、末期の癌に罹っていること分かった。その母親は、なんとかして娘の卒業式まで生きたいと思った。そして時々許されて家に帰った時には、一生懸命おにぎりをにぎるわけです。それを娘に持たせて、「勉強、頑張っていってらっしゃい」と言って送りだす。確かに、娘の卒業式は行けませんでした。でも生きられて、病院で卒業式が行われました。入学式までもう一回頑張りたいと考えた母親は、幸いにも入学式を迎えることができました。でも病院から出られなかったので、子供たちと先生と入学式は病院で行われました。それだけ面倒をみられて生きているのはエゴなのでしょうか。それを鎌田さんはこう言いました。「まさにその母親が放っていた光、これは命の光だ」。
子供の想いや母親自身の想い、支えていたみんなの想いがその人を通して光っている。まさに命の光。社会は、あまりにも経済至上主義になっている。もう一度、大切なこと、大切なものを確認したい。地域ケアとは、命の光を見失わないこと。そのために、住民、専門職、もちろん当事者自身という多くの担い手が、連携して進めていくものである。
ちょうど45分になりました。ご清聴ありがとうございます。

○ 小林

ありがとうございました。分かりやすいお話の中に、目を開かれる思いのするお話でした。どうもありがとうございます。それではステージを変えますので、5分間休憩を取らせて頂きたいと思います。これまででご質問がございましたら、お手を挙げて頂ければ質問票を取りに伺います。それでは5分間休憩致します。

休憩(14:47~14:52 5分間)

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