戦争関連資料〈写真〉
子どもの生活
学校・学童疎開
- 提供者
- 新井 純子 様
- 時期
- 昭和19年 (1944年) 8月~昭和20年 (1945年) 3月
- 場所
- 東京都浅草-宮城県鳴子
- 説明
- 東京大空襲で亡くなったお父様から疎開先のご本人に宛てた封書(3通)とハガキ(33通)。 当時、小学5年生だったご本人は、昭和19年 (1944年) 8月に実家のあった東京浅草から宮城県川渡村(現、鳴子町)へ学童疎開した。 実家のお父様から疎開先へは、一人娘の身を案じる手紙が毎週の様に届いたが、昭和20年 (1945年) 3月10日の東京大空襲のわずか数日前、3月4日消印のハガキがお父様から届いた最後の便りとなった。