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市内の各スポット解説(井の頭エリア・牟礼エリア)
作成・発信部署:企画部 広報メディア課
公開日:2017年4月1日 最終更新日:2024年9月9日
井の頭エリア、牟礼エリアの各観光スポットの解説です。
井の頭・牟礼エリア
井の頭恩賜公園
市民のオアシス・井の頭公園は、皇室の御料地となっていた御殿山や井の頭池周辺が大正2(1913)年東京市に下賜され、大正6(1917)年、日本初の郊外公園として一般公開された。
高木のみで約11000本の樹木があり、雑木林は昔の武蔵野の面影を残す。グリーンアドベンチャーコースも設けられている井の頭池の周囲は、春には桜が見事でお花見の名所。池ではボートも楽しめ、水鳥の種類も豊富。野外ステージ、陸上競技場、テニスコート、プールもある。
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中田喜直歌碑
生涯に2000曲におよぶ歌曲、童謡、合唱曲を残し、平成12(2000)年5月に亡くなられた日本を代表する作曲家である中田喜直(1923年~2000年)は、昭和20年代前半に三鷹市に居を構え、この時期から本格的な創作活動やピアノ奏者としての活動を始め、「夏の思い出」や「雪の降るまちを」などの名曲を作曲した。
なかでも、四季の美しい武蔵野の自然を愛した氏が、都立井の頭恩賜公園を散策していたときに生まれたのが「ちいさい秋みつけた」のメロディーである。
平成25(2013)年に中田喜直の生誕90周年を迎えるにあたり、氏の業績をたたえ記念するとともに、後世に伝えていきたいという願いを込めて、氏が作曲した童謡「ちいさい秋みつけた」の歌碑を11月16日に都立井の頭恩賜公園内に建立した。この歌碑には、氏の直筆譜が刻まれている。
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井の頭池と神田上水
井の頭池は、徳川家康の命によって江戸の飲料水確保のためつくられた日本初の水道・神田上水の水源であった。池東端には上水取入口の石門が残る。西端の石井筒は「お茶の水」と呼ばれ、家康がこの水を江戸城のお茶の水に用いるよう命じたといういわれがある。三代将軍家光もこの池の水を好み、近くの辛夷の樹に小柄で「井之頭」と彫ったため、これが池の名となったとも伝えられる。「七井の池」と呼ばれたほど豊富だった湧水は昭和の中頃に枯れ、現在では深井戸の水を給水して景観を保っている。
池を取り囲むように旧石器時代の大規模な遺跡群もみられる。最初に発掘されたのは昭和37年、縄文時代中期の住居跡で、発掘記念石碑が建てられている。
井の頭弁財天
井の頭池・中の島にある弁財天社は、縁起によると天慶年間(938年~946年)に源経基により創建された。現在の社殿は昭和2(1927)年に再建したもの。
神田上水源の水神・音楽や芸能の守護神としての弁財天は江戸町人に盛んに信仰されており、周囲の水盤、石橋などには奉納した江戸商人の名が刻まれている。大盛寺門前の石灯籠は「紫灯籠」と呼ばれ、井の頭池の水を利用した「江戸紫」の染物で生計を立てた人々が寄進したもの。安藤広重の浮世絵「名所雪月花」「名所江戸百景」などにも描かれ、行楽にも人気の景勝地であったことがうかがえる。
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井の頭伝説・宇賀神像塔
日本神道古来の水神・宇賀神は弁財天と同じく信仰された。明和4(1767)年に寄進された宇賀神像は上部に人間の顔をつけた蛇がとぐろをまいている。こんな伝説がある。弁天様に願をかけて玉のような女の子を授かった夫婦が、美しく成長した娘を連れて弁財天にお参りに行くと、娘は池に飛び込み、みるみる白蛇に変わってしまった。夫婦はせめてもの供養にと宇賀神像を作ったという。
三鷹市指定文化財の宇賀神象は井の頭弁財天で見られる。
大盛寺
創建年代不詳。井の頭弁財天の守護寺。境内には明治時代の歌舞伎俳優・板東喜知六の句碑、国木田独歩、柳田国男など武蔵野を研究した学者たちの顕彰の碑のほか、江戸町人が奉納した石碑で最古といわれる享保5(1720)年建立の石灯籠などもある。
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道しるべ・黒門
弁財天への参道入口に、「神田御上水源・井の頭弁財天」「是より社まで一丁半」と刻まれた高さ2.4メートルの道しるべの標石がある。延亨2(1745)年建立。台石には、芸能の守護神・弁財天を信仰した当時の江戸の劇場名や俳優の名が刻まれている。標石のとなりには「黒門」と呼ばれる鳥居に似た黒塗りの木の門があるが現在のものは、大正13(1924)年に再建されたもの。江戸から大正時代、この参道は大いに賑わっていたといわれている。
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神明神社・高橋家
天文6(1537)年、小田原北条氏の家臣・高橋綱種が上杉家の深大寺城に対抗して牟礼の丘に陣し、境内鎮護のため芝飯倉神明宮を奉ったのが始まりという。祭神は天照大神。標高60メートル、市内でも高台に位置する。綱種の子・康種は小田原城落城後、牟礼に帰農。その子孫は江戸時代には代々名主を勤めた。
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巳待講燈籠
嘉永3(1850)年建立。井の頭弁財天までの道しるべと村内安全祈願を兼ねた石燈籠(市指定)。竜の浮き彫りなどの意匠が見事。もとは人見街道沿いにあったが、昭和44(1969)年、神明神社境内に移転された。
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真福寺
高橋康種は牟礼に定住した天正19(1573)年、日蓮宗の寺・真福寺を開き、高橋家の菩提寺とした。明治初期には、後に東三鷹尋常高等小学校の初代校長を勤めた高橋亭之助がここで1年あまり村童の教育にあたった。寺の本堂脇に百日咳、安産などに効験のあった釈宮氏という尼の僧霊神を奉る香煎霊堂がある。
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牟礼の里公園
市内でもいちばんの高台にあり、富士山の見える南西向きの斜面地。園内は梅林、竹林、栗林があり、コケやふきのとうなども自生する農家の庭先風の自然庭園。都市化のなかで残された農の風景が広がる「牟礼の里」の中心となる公園である。
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三木露風
「赤とんぼ」の作詞で有名な三木露風は、昭和3(1928)年から39(1964)年に交通事故で没するまで牟礼に住んだ。桑畑や雑木林に囲まれた旧居「遠霞荘」の跡には案内板がたっている。
露風は亡くなる昭和39(1964)年に地元・高山小の校歌を作詞している。同校の学校図書館には、直筆の「赤とんぼ」などを展示した「三木露風コーナー」がある。なお、露風の生誕地・兵庫県龍野市と三鷹市は、平成13(2001)年4月に姉妹都市提携をした。墓所は大盛寺墓地内。入口の「赤とんぼ」の看板が目印。
周辺の地図情報(高山小学校)(Googleマップ)(外部リンク)
周辺の地図情報(大盛寺)(Googleマップ)(外部リンク)
風の散歩道
三鷹駅から万助橋までの玉川上水に沿った800メートルの道で、緑と水の公園都市・三鷹のシンボル的な道路。名称は1000点を超える公募作品から選ばれた。御影石で舗装された歩道にしゃれたベンチ、ポケットパークやモニュメントの設置と、散歩するにも楽しいつくりになっている。さらに足跡のタイルや三鷹の森ジブリ美術館の案内板など、遊び心もいっぱい。揃いの照明灯・車止め・玉川上水の樹木をライトアップする装置により、夜景も美しい。沿道は昭和の初期に開かれた住宅街で見どころも多い。
周辺の地図情報(Googleマップ)(外部リンク)
万助橋・松本訓導碑
万助橋は安政年間(1845年~60年)までさかのぼれる市内で最も古い橋の一つで、初代はマツの木を3本並べたものだという。現在のものは日本古来の「はね高欄」の橋に。橋名は橋を架けた下連雀村の渡邊家の世襲名・萬助さんから。玉川上水に沿って井の頭公園に入ったところにあるのが松本訓導碑(住所は武蔵野市御殿山一丁目)。大正8(1919)年、遠足中に上水に落ちた児童を助けようとして殉職した麹町区(現・千代田区)永田町小学校の松本虎雄訓導(先生)を記念したもの。当時、美談として大変な評判となった。
周辺の地図情報(万助橋)(Googleマップ)(外部リンク)
三鷹の森ジブリ美術館
21世紀の開幕と共にオープン(平成13年10月1日)した美術館。三鷹市と徳間書店、スタジオジブリ、日本テレビの共同事業として実現した。スタジオジブリの作品を中心にアニメーションについて幅広く展示している。「建物は、それ自体が一本の映画としてつくりたい」という考えのもとに宮﨑駿監督がデザインした。館内には不思議で面白いところがいっぱい。ここでしか見られないオリジナル作品の上映もある。
完全予約制なので事前に入場引換券を購入することが必要だが、入館しなくても屋上のロボット兵を見上げたり、カラフルな外観を眺めるだけでも楽しい。
周辺の地図情報(三鷹市わがまちマップ)(外部リンク)
入館方法
ジブリ美術館の入場は日時指定の予約制です。チケットの予約は、ローチケWEBサイトで販売しています。料金は大人1000円、中高校生700円、小学生400円、幼児(4歳以上)100円(受付ですてきな入場券と引き換え)。
開館時間
午前10時~午後6時(入場は午前10時以降1時間刻みで午後4時までの7回、完全予約制ですが入替制ではありません)。
- 連絡先
- 0570-055777
井の頭自然文化園(本園・分園)
第二次大戦中の昭和17(1942)年に開園。当初より郊外型の動物園として、自然に近い環境で小動物を群で放し飼いする自然生態観察に力を入れていた。昭和50年代までは園内を闊歩するクジャクも。現在でも鳥が目の前を横切る「熱帯鳥温室」や、肩や頭に乗ってくる「リスの小経」、モルモットのコーナーなどがある。
ほかにも長崎の「平和祈念像」が作られたアトリエと北村西望作品の彫刻館、童謡「赤い靴」「井の頭音頭」の野口雨情の住居を移築した茶会なども開ける童心居には水琴窟、かわいいメリーゴーランドのある遊園地、資料館と見どころは多い。
分園には日本の水鳥がいっぱい。水生物館では本物のカワセミやカイツブリが目の前で魚を捕まえる姿やムサシトミヨの巣作りも見られる。メタセコイヤなどの樹木も注目もの。
開館
午前9時30分~午後4時30分(入園は4時まで)、月曜日休園。大人400円、中学生150円、小学生以下・65歳以上は無料。
- 連絡先
- 0422-46-1100
山本有三記念館
作家で三鷹市の名誉市民でもある山本有三が昭和11(1936)年から進駐軍に接収される21(1946)年まで住んだ家。「新編路傍の石」「米百俵」などの名作が生れたところ。戦争中には有三が「ミタカ少国民文庫」を開いた。大正期末建築の折衷様式の洋館で、南側に整備された有三の愛した竹林や芝生、池のある庭も美しい。館内は重厚な作りの暖炉や階段などがそのまま保存されていて、山本有三に関する展示やイベントなどを見ることができる。
開館
- 開館時間
- 午前9時30分~午後5時(月曜日は休館)
- 連絡先
- 0422-42-6233
- 入館料
- 300円
みたか井心(せいしん)亭
純和風の文化施設で、茶道・華道・歌会などに利用できる。茶道具などの貸出しもある。庭は小さいながら本格的日本庭園で、ここにある百日紅(さるすべり)は近くにあった太宰治の家から移植したもので、垣根越しに外から見ることもできる。
- 連絡先
- 0422-46-3922
みたかシティバス
従来のバスでは不可能だった狭い道でも運行できるコミュニティバス。
バスにはスタジオジブリのキャラクターが描かれたデザインや三鷹の特産品であるキウイをモチーフにしたデザインなどが施され、街に彩りを添えている。
現在走っているのは次の6ルート。
- 北野ルート(三鷹駅~北野地区)
- 三鷹台ルート(三鷹台駅~杏林大学病院~三鷹中央防災公園・元気創造プラザ)
- 三鷹の森ジブリ美術館循環ルート(三鷹駅~同美術館)
- 明星学園ルート(三鷹駅~同学園前)
- 新川・中原ルート(三鷹中央防災公園・元気創造プラザ~つつじヶ丘駅北口(新川団地中央経由))
- 三鷹・境循環ルート(ムーバス)(三鷹駅~武蔵境駅)
- 運賃
- 大人 現金:230円 交通系IC:230円
- 小児 現金:120円 交通系IC:50円
-
くわしくは「みたかシティバス」参照。
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