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三鷹市名誉市民(1)

作成・発信部署:企画部 市長室

公開日:2007年3月30日 最終更新日:2022年3月22日

 昭和26年12月24日第6回市議会定例会で議員提案による「三鷹市名誉市民条例」が一部修正のうえ可決され、昭和27年1月1日施行された(昭和55年9月29日改正)。

 三鷹市では、この条例に基づき、学芸、技芸、その他の文化の進展に貢献、あるいは本市の発展、市民生活の向上に尽くし、広く市民の尊敬を受ける市民または本市に縁故の深い人を、議会にはかり名誉市民に推挙している。

 現在までに、作家・武者小路実篤、作家・山本有三、元市長・鈴木平三郎、日本画家・福王寺法林、天文学者・古在由秀、アニメーション映画監督・宮崎駿、作家・津村節子、元市長・安田養次郎、音楽家・沼尻竜典が名誉市民となっている。

画像:写真:武者小路実篤氏

武者小路実篤氏

武者小路実篤(作家)

 昭和27年1月推挙。明治18年~昭和51年、90歳没。明治40年に東京帝国大学を中途卒業後、43年に雑誌「白樺」の創刊同人となる。志賀直哉、長与善郎らとともに人道主義文学の先駆者として活躍。「お目出度き人」(明治44年)、「友情」(大正9年)、「真理先生」(昭和26年)などの代表作を残した。

 また、絵画の分野でも自由奔放なタッチの静物画の画風をもって知られる一方、大正7年には理想郷を求め宮崎県日向村に「新しき村」を創設して移り住むなど、理想主義の実践者として知られる。
 三鷹には昭和12年から30年まで住み、三鷹市役所の標札の揮毫など市制発展にも側面的な協力者としての面もあった。昭和26年文化勲章受章。

画像:写真:山本有三氏

山本有三氏

山本有三(作家・戯曲家)

 昭和33年1月推挙。明治20年~昭和49年、86歳没。栃木県出身。大正4年東京帝国大学独文科卒業。大正9年戯曲「生命の冠」が明治座初演され、劇作家として認められる。
 その後、「嬰児殺し」(大正9年)、「海彦山彦」(大正12年)、「女人哀詩」(昭和5年)、「米百俵」(昭和18年)などの戯曲、「女の一生」(昭和8年)、「真実一路」(昭和11年)、「路傍の石」(昭和12年)、などの小説で劇作家、小説家として文壇での地位を不動のものとした。
 また、児童青少年向けに「日本少国民文庫」全16巻の編集・監修を行った。三鷹には昭和11年から21年まで住み、著作を続ける一方、昭和17年に自邸に「ミタカ少国民文庫」を開いている(19年閉館)。

 戦後は、国語審議会委員、当用漢字主査委員長として新かなづかい、当用漢字の制定などの国語問題に携わり、著作権問題、文化財保護法の制定などに積極的に取り組んだ。また、参議院議員として活躍、「緑風会」の名付け親でもある。
 昭和40年文化勲章受章。市では平成8年に旧邸に三鷹市山本有三記念館を開館し、その業績を顕彰している。

画像:写真:鈴木平三郎氏

鈴木平三郎氏

鈴木平三郎(第3代三鷹市長)

 昭和55年9月推挙。明治39年~昭和59年、77歳没。三鷹出身。日本大学専門部医学科卒業、医学博士。昭和12年以降三鷹村会議員、町会議員、町公安委員会を経て、昭和30年4月市長に就任。昭和50年まで、5期20年にわたり三鷹市の発展期の市政を担当した。

 昭和31年、全国初の0歳児保育所を開設。ごみ、し尿、上下水道など都市基盤整備に努める一方、昭和40年三鷹市民センターを完成、行政運営に企業性を導入するなど行政の合理化を推進。
 昭和48年に、全国初の下水道普及率100%を達成。また、コミュニティ行政の取り組みなど、自治体経営と都市建設で、先駆的な業績を残した。昭和51年秋、勲三等旭日中綬章を受章。

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