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仙川平和公園の平和モニュメント
作成・発信部署:企画部 企画経営課
公開日:2020年8月11日 最終更新日:2020年8月12日
仙川平和公園(せんかわへいわこうえん)
仙川平和公園(旧:仙川公園)には、「平和の像」や、「アンネ・フランクのバラ」など平和に関するモニュメントが多く集まっています。
令和2年に戦後75年の節目として、平和への願いを次世代に継承するため、「仙川公園」の名称を「仙川平和公園」へと改称しました。
仙川平和公園にある平和に関するモニュメント
平和の像
みたか百周年記念事業の一環として、平成元年11月、故北村西望氏の代表作「平和祈念像」を、三鷹の平和のシンボル「平和の像」として、建立したものです。
この像の原型は、長崎市に建立された像をもとに作成されました。作者の北村西望氏は、三鷹市に隣接する井の頭公園内にあったアトリエで、長年、創作活動を続けられ 、その間、市内の小学校と交流を深めるなど、三鷹市と深く関わりをお持ちでした。
「平和の像」の建立にあたっては、市民による組織「みたかに平和の像をつくる市民の会」が発足し、募金活動によって、多くの市民からの浄財が寄せられました。
ヨハン・ガルトゥング記念樹(桜)
みたか百周年記念事業「ヨハン・ガルトゥング平和フォーラム」の開催を記念して、ノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトゥング博士が世界の平和を願い、植樹したものです。
プラタナスの木
二本のプラタナスの木は、昭和20年5月25日の新川の空襲(54戸全焼・数百人被災)で被災しました。 これらは、木の内側が焼けてしまいましたが、外側だけで生きつづけ、春には多くの葉をつけます。新川交差点近くの、富沢美孝氏宅から、平成3年11月に移植されたものです。

アンネ・フランクのバラ
アンネ・フランクのバラ
第二次世界大戦中、アンネ・フランク一家がオランダ・アムステルダムに逃れ、隠れ住んでいた時に、隠れ家の裏庭に咲いていた野バラで、アンネの心を慰めたといわれています。ひとり生き残った父親のオットー氏は、娘の平和を願う心をバラに託して、世界の人々にバラを広めました。
「アンネの形見のバラ」と名付けられたこのバラは、アンネの日記の読書指導をしていた高山小学校に伝わり、平成5年2月に同小から枝分けしてもらったバラを移植しました。
このバラは、つぼみは濃い紅色ですが、花が咲き始めるとオレンジ色からクリーム色がかった明るい色に、そして薄いピンク色へと変化していきます。
アオギリ(広島被爆樹木2世)
昭和20年8月6日に広島で被爆の惨禍に遭いながらも、焼け焦げた幹から再び芽吹き、広島の平和記念公園内に移植された後も、今日まで成長しているアオギリの親木(おやき)の種から発芽したものです。三鷹市も加盟している「平和首長会議」(事務局:広島市)より寄贈されました。
平成28年1月に戦後70年三鷹市平和事業の一環として、広島市長を招いて植樹式を行い、三鷹の新たな平和のシンボルとして大切に育てられています。
平和施策推進に関する条例記念碑
平成4年3月27日に「三鷹市における平和施策の推進に関する条例」が制定されたことを記念し、条例の前文を刻んだ記念碑を、平成4年8月15日に設置しました。
アクセス
三鷹駅南口(8番)から野ヶ谷行きバス、三鷹駅南口(6番)から三鷹台駅行きバス、
吉祥寺駅南口(6番)から深大寺及び野ヶ谷行きバスで「南新川」下車
(下記関連リンクをご覧ください。)
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