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三鷹の歴史「江戸時代 新田の開発」

作成・発信部署:企画部 広報メディア課

公開日:2009年3月3日 最終更新日:2019年1月8日

画像:村々の成立時期を表すイラスト(拡大画像へのリンク)

村々の成立時期

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新田開発により村が続々と誕生

江戸時代には、古くからある牟礼、大沢の村落が幕府の直轄領になり、新川、中仙川(現・中原)は柴田勝家の孫、勝重の知行地となって開発が進みました。

下連雀は、明暦、万治の江戸の大火の際に、神田連雀町の被災者が幕命によって移転し開墾した地域です。

街道や玉川上水の開発などにつれて、連雀、野崎、野川など古新田と呼ばれる村々が開かれたのち、井口、深大寺、大沢、野崎などの新田が八代将軍吉宗による、幕府財政立て直しのための武蔵野新田開発により、続々と誕生しました。

村々の成立時期は3期に分かれ、第1期(1590年頃)に牟礼村、上仙川村、中仙川村、大沢村が、第2期(1690年頃より前)に上連雀村、下連雀村、野崎村、野川村、北野村が、第3期(1725年頃より後)に井口新田、深大寺新田、野崎新田、大沢新田が成立しました。

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