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三鷹市の人口・市章・市民憲章
作成・発信部署:企画部 広報メディア課
公開日:2007年7月28日 最終更新日:2023年6月21日
人口
三鷹の人口は、大正12年の関東大震災による区内からの移住者によって増加し始めるまで5,000人~6,000人という規模で、純農村地帯の時代が長く続いていた。
昭和5年の三鷹駅開設、昭和10年以降の軍需工場の進出などによって急増し、昭和15年の町制施行時に約21,000人、戦後の昭和25年の市制施行時には約55,000人となり、東京周辺のベッドタウンとして発展していく。
昭和30年代には、牟礼団地、新川団地、三鷹台団地などの大規模な公団住宅が建設され、都営住宅や民間アパートなどが急増して、10年間でほぼ倍増している(昭和30年67,308人から、昭和40年125,200人へ・住民基本台帳)。
昭和52年ごろから16万人規模となり、近年では19万人を超える規模となっている。
三鷹市の紋章(市章)
昭和17年8月18日、三鷹町章として紋章を制定。紋章の図柄は一般公募の中から、望月長与氏(三鷹町在住)のデザインを採用した。
その後、同紋章を使用してきたが、昭和42年1月1日告示第1号により規格化し、正式に制定した。
図柄の3本の円は江戸時代、三鷹地域が世田谷、野方、府中の3領に属していたことを意味し、中央の鷹の図は江戸時代、鷹場であったことを表したもので、三鷹の「三」と「鷹」を組み合せ、円は人の和、平和を願った図柄である。
市民憲章
市制施行30周年記念として、昭和55年11月3日制定。市民の手で明るく住みよいまちづくりを進めるための市民共通の行動目標を5項目にわたって定めたもので、「市民憲章素案作成市民会議」(30人)のほか、市民からの意見を反映して決定した。
三鷹市民憲章
わたくしたちは、郷土三鷹を愛し、平和な、みどり豊かなまちをつくることを願い、この憲章を定めます。
- 互いに助け合い、ともに生きるよろこびを分かち合うまちをつくります。
- 清潔な環境を保ち、心身ともにすこやかに暮らせるまちをつくります。
- 社会のきまりを尊重し、明るいまちをつくります。
- 歴史を大切にし、新しい文化をそだてるまちをつくります。
- 自治をになう市民としての自覚を深め、互いに学び合うまちをつくります。
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