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新川天神山青少年広場(新川二丁目)

作成・発信部署:都市整備部 緑と公園課

公開日:2020年12月25日 最終更新日:2024年1月4日

画像:雑木林の写真(拡大画像へのリンク)

雑木林

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「島屋敷の東なり。天満天神の社(やしろ)ありしが、いまは野川村へ移せり。その旧跡なり。古(いにし)えは梅の大木ありしが、いまは枯れて朽根ばかり残れり。又云(いわく)東西に堀切の空湟(からぼり)とあり。文化三年(1820年)武蔵名勝図会」

戦国時代の山城「天神山」の跡地の雑木林です。イヌシデやコナラを中心とした雑木林となっており武蔵野の面影を残した空間となっています。公園の西側には仙川が流れており、緑と水を感じられる癒しのスポットになっています。

画像:ベンチの写真(拡大画像へのリンク)

テーブルベンチ

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場所

三鷹市新川二丁目5番38号(外部リンク)

クリックすると地図情報(三鷹市わがまちマップ)がご覧になれます。

画像:入り口の写真(拡大画像へのリンク)

公園入口

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面積

4,691.00平方メートル

トイレ

この公園のトイレには次の設備があります。

  • 洋式トイレ
画像:案内板の写真(拡大画像へのリンク)

案内板

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天神山城跡の案内

天神山は、江戸時代の地誌である『武蔵名勝図会』に名が見られる、戦国時代の山城です。蛇行する仙川に囲まれた半島状の地形を利用し、陸続きの北側のみを端切で断し、土塁を設けた単郭式構造です。堀切には「横矢掛り」という防御性を高めるしかけが設けられ、北西側の急斜面は、自然地形をさらに急角度に切り落とす造作を行っています。極めて簡素な構造をしていますが、自然地形を最大限巧みに活かした築城法は見事です。築城主は不明ですが、戦国時代を通じて経営されている、武蔵七党村山党金子氏の居館との伝承がある島屋敷村落に、仙川を挟んで隣接しており、島屋敷と強い関連があるものと考えられています。築城時期も不明ですが、天文年間(1532~1555年)の扇谷上杉氏と後北条氏との合戦に備えて造られた可能性があります。この時の戦いでは、深大寺城に陣を張った難波田弾正(扇谷上杉氏家臣)に対して、後北条軍は直接河越城を攻め、深大寺城での戦いはなかったと伝えられています。天神山城での戦いも伝承されていません。その名は、かつてこの山頂付近に天神社(現三鷹市新川二丁目1-21)が設けられていたことに由来します。

このページの作成・発信部署

都市整備部 緑と公園課
〒181-8555 東京都三鷹市野崎一丁目1番1号
電話:0422-29-9789 

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