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三鷹の歴史「明治時代 ・ 三鷹の誕生」

作成・発信部署:企画部 広報メディア課

公開日:2009年3月3日 最終更新日:2019年6月26日

明治26年に三鷹村を含む三多摩全体が東京府へ移管

明治維新後、廃藩置県の直後に三鷹市域の村々は東京府と神奈川県との間で変更を繰り返しましたが、やがてすべての村が神奈川県に属すようになり、明治22(1889)年の市制町村制の施行で、上連雀・下連雀・井口新田・深大寺新田・大沢・野崎・新川・中仙川・北野・牟礼の10カ村が合併し神奈川県北多摩郡三鷹村となりました。
村の名は、野方領・世田谷領・府中領の3領にまたがるかつての鷹場の村々が集まったことに由来するといわれています。

同じく明治22年、甲武鉄道(現・JR中央線)新宿~八王子間が開通。明治26(1893)年には、玉川上水の水質管理問題に端を発して三鷹村を含む三多摩全体が東京府に移管されました。

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