資料集

日本の水車

水車が初めて作られたのは、紀元前1世紀頃、トルコを中心とした小アジアと言われている。その後、東西2つのルートに分かれて伝播し、日本には610年に中国・朝鮮半島を経て伝来した。
その後、徐々に広まったようだが、武蔵野地方に水車が増えたのは、江戸時代の安永3(1774)年頃からで、明治後期が最盛期だったと考えられる。

写真 岐阜県 瑞浪市 佐々良木川
水野水車(トロンミル/陶土水車)

写真 岡山県 津山市上横野(製紙水車)

水車は、やや高い所にある田に水をくみ上げる揚水(ようすい)用と、原動機として使われる動力用に大きく分けられる。この揚水用と動力用では構造が違う。揚水用は、福岡県朝倉町の三連水車に見られるように、水輪の先に箱や缶などの水をくむ部分を付けている。これに比べ、動力用は心棒の回転を利用し、杵(きね)を動かしたり、挽臼(ひきうす)を回したりする。武蔵野地方にあった水車はほとんどが動力用で、主に穀類の精白や製粉に使われた。しかし、江戸時代の終わりには、水車は丸ごと鋳造した大砲の穴開けや火薬の製造にも使われた。

写真 栃木県 今市市 朝田水車(線香水車)

写真 福岡県 朝倉町(三連水車)

写真 静岡県 島田市 上田製菓(製薬の機械)

写真 愛知県 豊田市 大内町
小野田和紡績工場(ガラ紡績)

現在、各地に残っている水車も、その用途は多岐にわたっている。例えば、瑞浪市(岐阜県)ではトロンミルを回して陶磁器の釉薬(ゆうやく)を作ったり、天竜市(静岡県)や勝田町(岡山県)では、製材、津山市(岡山県)では製紙、上陽町(福岡県)や相生町(徳島県)、今市(いまいち)市(栃木県)では線香用の杉の葉を粉末にしている。少し前には、北海道では澱粉工場の動力、島田市(静岡県)では製茶、群馬県ではこんにゃくとさまざまな分野の産業の動力として、水車が使われていた。

また、揚水用として、朝倉町(福岡県)には三連水車の他に二連水車が2台あり、倉敷市(岡山県)には直径2メートル弱のものが群となって水をくみ上げている。

写真 静岡県 天竜市 大谷製材所(帯ノコ)

写真 岡山県 倉敷市 上井出用水(揚水水車群)

このように、数少なくなってきたが、新車(しんぐるま)のように在来の技術を使って、生きて働く水車は、まだ各地に残っている。

小坂克信(産業考古学会理事 水車と臼分科会代表)