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戦争遺跡・平和スポット

都営武蔵野緑町二丁目アパート(中島飛行機武蔵製作所・東工場)

武蔵野の畑や雑木林が広がっていた北多摩郡武蔵野町西窪(現・緑町)に、昭和12(1938)年、中島飛行機の陸軍専用発動機工場として武蔵野製作所が開設された。北多摩郡武蔵野町西窪は現在の緑町にあたり、工場の建物は、ちょうど都営武蔵野緑町二丁目アパートの位置にあった。中心は第3アパートのある辺りで、「こうちゃん公園」前の道路の向い側に、シンボルといわれた時計塔を備える本館があった。

この本館および第二本館とよばれた事務室棟などは鉄筋コンクリート造りであったが、それ以外の工場建物は、鉄骨スレート葺きののこぎり屋根を持つ平屋建てであった。戦争末期、こののこぎり屋根に多数の塗装工を集めてペンキ(コールタールとの説もある)を塗り、麦畑に見せかける「偽装(カモフラージュ)」が行われたが、効果はなかった(藤田のぼる『麦畑になれなかった屋根たち』(絵本、1995年刊)に描かれている)。

鉄骨スレート葺きの工場は、合計で9回に及んだ空襲により、ほぼ原形を留めないまでに破壊された(石版画家・織田一磨「夏草」)。昭和30(1955)年、跡地は都営アパートとなった。その際、3号棟と4号棟の間に位置する鉄筋コンクリート造りの変電室だけが改修されて、アパートの管理棟となり、廃止後も自治会の倉庫や集会室などに利用されていた。都営アパートの高層化に伴い、平成27(2015)年に解体された。周辺の跡地約1.1万㎡は、平成30(2018)年に都立武蔵野中央公園に編入され、変電室の跡地には、空襲の際の「爆撃照準点」に近かったことから、枝垂れ桜を中心とした同心円が描かれ、その周囲には大型の説明板が設置された。

所在地

東京都武蔵野市緑町2-3-1