三鷹跨線人道橋跡ポケットスペース
三鷹駅が開設される前年の昭和4年(1929年)、三鷹電車庫(現JR東日本三鷹車両センター)の開設に伴い、南北間の通行を妨げないように設けられた跨線人道橋である。レールとコンクリートを使ったシンプルな構造で、よく晴れた日には遠くに富士山を望むこともできた。
作家・太宰治(1909年~1948年)は、戦争末期、甲府や故郷の青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)に疎開した一時期を除き、昭和14年(1939年)から入水して亡くなる昭和23年(1948年)まで、現在の三鷹市下連雀に住んでいた。写真家・田村茂(1906年~1987年)が、戦後、一躍「時代の寵児」となった太宰をこの跨線人道橋で撮影した写真は有名である。
なお、太宰は、昭和20年(1945年)4月2日の中島飛行機武蔵製作所への空襲で被災し、これを機に甲府にあった妻の実家に疎開した。その後、甲府も空襲に見舞われ、青森の実家へと再疎開し、そこで終戦を迎えた。
令和5年(2023年)12月、跨線人道橋は老朽化のため廃止され、翌年、解体された。三鷹市側には、階段を一部残し、在りし日の跨線人道橋を思い起こすことができる「三鷹跨線人道橋跡ポケットスペース」が令和8年(2026年)3月に整備された。
- 所在地
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〒181-0012 東京都三鷹市上連雀2丁目21