広報みたか2023年8月20日1面
■三鷹の関東大震災
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災は、当時の東京市を中心に大規模な火災が発生するなど、甚大な被害をもたらしました。三鷹では、井の頭弁財天堂や野崎八幡社拝殿などが倒壊したといわれています。当時の三鷹の様子をエピソードで振り返るとともに、日ごろからできる地震への備えを紹介します。
[問]防災課TEL0422-24-9102
パネル展「関東大震災から100年あの日の三鷹とこれからの備え」
震災当時の三鷹や防災対策に関する資料などを展示します。
[日]9月25日(月)〜28日(木)午前8時30分〜午後5時
[所]市役所1階市民ホール [申]期間中会場へ
[問]NPO法人Mitakaみんなの防災TEL0422-26-7020
エピソード 地震の被害を免れたレプソルド子午儀
東京天文台(現:国立天文台)はもともと東京市麻布区にありましたが、より良い観測条件や広い敷地を求めて、大正3(1914)年ごろに北多摩郡三鷹村への移転が始まりました。移転作業が遅々としている中、関東大震災が発生。麻布の東京天文台は壊滅的な被害を受けましたが、レプソルド子午儀は移転準備中で梱包されており、震災の被害を免れました。
三鷹に移される前のレプソルド子午儀は主に時刻の決定に使用され、これを基に旧江戸城天守閣の跡地では正午の号砲が撃たれていました。現在は国の重要文化財に指定され、貴重な歴史資料として一般公開されています。
子午儀(しごぎ)とは
天体が子午線上を通過する時刻を観測することによって、その地の経度や時刻を決める観測に使われる。
エピソード 三鷹の人口は関東大震災を契機に増加
震災の甚大な被害は、東京市(当時)の人口を郊外へ分散させるきっかけとなりました。
※グラフはPDFをご覧ください。
エピソード 三鷹最初の住宅地は“災害に強い住宅”に
震災翌年の大正13年、下連雀の大地主であった8代目・渡邉萬助が「南井之頭田園住宅」を開発。震災の教訓を生かし、生け垣の奨励、井戸や道幅の広い道路の整備などの災害対策が取り入れられました。
■備えよう三鷹 地域の防災リーダーが“わが家”の備えをご紹介!
関東大震災100年
幾多の災害を乗り越えてきた東京
備えよう、明日の防災
●家具の転倒防止
山崎光さん
突っ張り式の器具や家具の下に挟み込むプレートを活用しています。就寝中に家具が倒れたり、物が落ちてこないように、配置も工夫しています。
●食料・飲料の備蓄
鈴木明子さん
在宅避難時の食料などは、手に取りやすい場所に置いてあります。防災食品を食べる日を設け、賞味期限にも気を付けています。
●非常用持ち出しバッグ
阿部華奈絵さん
災害時は精神状態が不安定になりやすいので、思い出の品があると心の支えになります。また、火をいつでも起こせるようにファイアスターターを持ち歩いています。
震災への備えなどについて2面に詳しく掲載しています
■市長コラム「関東大震災から100年 説目に考える防災」
三鷹市長 河村 孝
三鷹市は比較的、地盤が固い地域といわれています。その「地震に強い」という特性から、実は市内には10カ所近いデータセンターが集積しています。
しかし、そうはいっても、私たちは常に油断することなく、さまざまな災害に備えなければなりません。もちろん、これは個々人やご家庭だけでなく、自治体にも同じことがいえます。そこで市では、市内外13の公共機関や約80の民間団体と災害時の応援協定を結び、いざという時に協力して災害に対応する体制を整えています。たとえば、避難場所や物資、車両、医薬品の提供などです。また、医療救護活動や福祉施設の開放、し尿の運搬・処理、外国人支援、さらには空からのドローン映像の提供などもあります。
市ではさまざまな備えをしていますが、災害時に何よりも大切なのは、自助に加えてご近所で助け合う力、「ご近助力」です。共助とも表現しますが、地域の「つながり」や「絆」と言い換えることもできます。関東大震災から100年目を迎える9月は、災害時の備えとともに、地域のつながりや絆について考えてみるのも必要かもしれませんね。
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「河村市長に聞いてみた!」
市外局番「0422」は省略。 【主】主催者 【日】日時・期間 【人】対象・定員 【所】場所・会場 【講】講師 【¥】費用 【物】持ち物 【申】申込方法 【問】問い合わせ 【保育】保育あり 【手話】手話・要約筆記あり