緑と水の公園都市 三鷹市
このページは広報みたかのバックナンバーです。 応募・募集・申込期限が終了している場合がありますのでご注意ください。

広報みたか2016年8月7日1面

■平和への願いを込めて いま語り伝えたいこと

 先の大戦は多くのものを奪い、人々に大きな苦しみや悲しみをもたらしました。しかし今日、私たちは平和な日々を生きています。この平和を守り続けるためには、私たち一人ひとりが戦争の記憶や体験から学び、平和への願いを次世代に伝えていかなければなりません。
 市では、今年2月に戦争関連資料や市民の肉声による戦争体験談の映像、市の平和施策などを紹介する特設サイト「みたかデジタル平和資料館」を開設しました。終戦記念日の8月15日には、新たに3人の市民の方の戦争体験談(下記)を公開予定です。

[問]企画経営課TEL内線2115

みたかデジタル平和資料館
[HP]https://www.city.mitaka.lg.jp/heiwa/
※市ホームページトップページのバナーからもご覧いただけます。

沈みゆく戦艦武蔵から九死に一生の生還
最年少の水兵が見た凄惨(せいさん)な光景

塚田義明さん(89歳)
 太平洋戦争末期、日本軍が建造した最後の戦艦「武蔵」は、昭和19(1944)年10月24日、フィリピンのレイテ沖海域でアメリカ海軍機の猛攻撃を受けて沈没。1,000人を超える乗組員が犠牲になりました。海軍特別少年兵だった塚田さんは、昭和18(1943)年に17歳で武蔵に配属され、戦地を転々とし、次第に悪化する戦況の中、運命の日を迎えます。徐々に沈みゆく武蔵は海中に大きな渦を巻き起こし、乗組員を次々とのみ込んでいきました。多くの仲間が命を落とす中、九死に一生を得ながらも重油まみれの真っ暗な海の中を漂った記憶は、戦争の恐怖を私たちに伝えます。

終戦から55年後の帰国
翻弄(ほんろう)され続けた残留日本人としての日々

近藤孝子さん(84歳)
 昭和20(1945)年8月14日の日本のポツダム宣言受諾後も、「南樺太」をはじめとした日本領へのソ連軍の侵攻は続き、多くの日本軍兵士が殺害またはシベリアに抑留されました。民間人に対しても、ソ連軍による暴行や差別などが横行する中、南樺太に居住していた近藤さんは、昼間は暴行を恐れて男装し、夜は屋根裏で就寝するという日々を送っていました。17歳で朝鮮人男性と結婚するも、育ての親である叔父夫婦は日本へ引き揚げたため、肉親と離れ離れになり、永住帰国できたのは平成12(2000)年。戦争に運命を翻弄され続けた長い歳月は、戦後も続いた人々の苦悩を物語ります。

疎開先に届く父からの便りは
東京大空襲の後、ぱたりと途絶えた

新井純子さん(83歳)
 昭和19(1944)年7月の日本軍のサイパン島陥落後、アメリカ軍による日本本土への本格的な空襲が開始され、各地で多くの命が奪われました。中でも昭和20(1945)年3月10日の東京大空襲では、約10万人もの方々が犠牲となったといわれています。新井さんの父親や祖母もその犠牲となりました。当時11歳の新井さんは、宮城県へ学童疎開しており、疎開先には東京に残った父親から毎週のように手紙が届きました。手元に残る約40通の手紙、その最後の消印は3月4日、東京大空襲のわずか数日前でした。娘の身を案じる父親の手紙は、戦争に引き裂かれた家族の絆の尊さを教えてくれます。

※写真はPDFをご覧ください。


■みたか平和のつどい 8月15日は世代をこえて平和を考える日

 市では、8月を平和強調月間とし、平和の尊さを再認識するための各種事業を行っています。ご来場をお待ちしています。


■戦没者追悼式並びに平和祈念式典[手話]

[日]8月15日(月)午前10時15分〜午後0時10分ごろ(9時50分開場)
[所]三鷹市公会堂光のホール

 戦争で犠牲になられた方々のご冥福を祈り、平和を願う式典です。
内容 献花、追悼と平和祈念のことば、戦争体験談「遺族から見た戦争」(三鷹市遺族会)、コーラス(三小合唱団)、黙とう
※午前10時35分〜午後3時30分の間、ロビーにてどなたでも献花ができます。


■平和アニメ上映会「ジョバンニの島」

(文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞受賞作品)

[日]8月15日(月)午後1時30分〜3時15分(1時10分開場)
[所]三鷹市公会堂光のホール

 北方領土の一つ色丹島で、父・祖父と暮らしていた10歳の兄・純平と7歳の弟・寛太。二人の運命は終戦後、ソ連軍の進駐によって大きく変わることに。心を通わせたロシア人の少女・ターニャとの別れ、父のシベリア抑留など、幾多の試練が兄弟を襲います。実話をもとにした、私たちが決して忘れてはならない歴史を伝える作品です。


■平和展「戦中戦後の人々の暮らし展」

[日]8月8日(月)〜15日(月)の平日午前8時30分〜午後5時
[所]市役所1階市民ホール

 戦争の歴史を伝える昭和館(千代田区)提供のパネル展示により、戦争による人々の暮らしの変化や戦後の苦労などを紹介します。

2面関連記事も併せてご覧ください。


■市長コラム「三鷹市の平和を見守る仙川公園」

三鷹市長 清原慶子

 三鷹市新川6丁目にある「仙川公園」は、三鷹市にある都市公園の中でも約1・1万平方メートルの面積を有する最大級の公園です。「仙川公園」には、平成元(1989)年11月に、「三鷹開村100周年」を記念して「平和の像」が建立されています。この像は、長崎市の「平和祈念像」を制作された彫刻家の故・北村西望氏によるものです。

 そして、今年の1月28日には、「戦後70年 非核・平和関連事業」の一環として、広島市の松井一實市長にご臨席をいただき、三鷹市議会、三鷹市遺族会、三鷹市原爆被害者の会、世界連邦運動協会三鷹支部の代表の皆様とご一緒に、広島の被爆樹木の2世であるアオギリの苗木を、「平和の像」の隣に植樹いたしました。そのアオギリは、今では青々とした葉を茂らせ、平和を願う私たちを応援してくれています(写真)。

 また、園内には、戦時下の日々をつづった『アンネの日記』の著者であるアンネ・フランクのお父様が、世界に平和の願いを広げようと株分けをされた「アンネ・フランクのバラ」もあります。さらに、空襲にも負けずに残った「プラタナスの木」2本も、すくっと立っています。まさに「仙川公園」は、戦争の記憶を残しつつ、平和の大切さを示して、私たちが現在と未来の平和を共に考え、願い、目指していく力を与えてくれる公園とも言えます。

 三鷹市では今年も8月15日に、「世代をこえて平和を考える日」として「戦没者追悼式並びに平和祈念式典」を行います。また、当時の国民生活の労苦を伝える「戦中戦後の人々の暮らし展」を催します。そして、インターネットでは、市民の皆様から寄せられた戦争の記憶を記録した「みたかデジタル平和資料館(上記)」をご覧いただけます。

 8月はいわゆる「旧盆」や長期休暇の季節で、普段は離れて暮らしているご家族や友人と再会され、思い出などを語り合う機会も多いと思います。今年も戦争の悲惨さを心に刻みつつ、平和を考え、祈る8月といたしましょう。

※写真はPDFをご覧ください。

市長のひとことコーナー
ケーブルテレビの広報番組「みる・みる・三鷹」では「市長のひとことコーナー」を放送しています(放送時間は12面参照)。


※詳細はPDFをご覧ください。


市外局番「0422」は省略。 【主】主催者 【日】日時・期間 【人】対象・定員 【所】場所・会場 【講】講師 【¥】費用 【物】持ち物 【申】申込方法 【問】問い合わせ 【保育】保育あり 【手話】手話・要約筆記あり

▲このページの先頭へ

目次ページに戻る

トップページへ戻る


   
三鷹市役所 〒181-8555 東京都三鷹市野崎一丁目1番1号 電話:0422-45-1151(代表) 市役所へのアクセス

開庁時間:月曜〜金曜日の午前8時30分〜午後5時(祝日、12月29日〜1月3日を除く)