広報みたか2011年7月17日3面

■太宰治賞受賞の由井鮎彦さん寄稿文

　『会えなかった人』で第27回太宰治賞を受賞した由井鮎彦（ゆい　あゆひこ）さんが三鷹のまちをモチーフとしたエピソードを寄稿してくださいました。

「ミタカさんとの散歩」

　わたしはミタカ駅に立っています。

　今日はミタカさんと散歩です。待っていると、ミタカさんの影のような、雲のような姿が現れてきます。ミタカさんはわたしを風のようにさらっていくと、緑に溢れた井の頭公園へと連れていきました。わたしは市街の地図を眺めます。そこに見えるミタカさんを背にして、こちらを覗き込んでいるのはだれでしょう。ミタカさんの笑い声、それは木の葉を揺する風の音。

　井の頭池は一周、一・六キロ。皆に混じって、ミタカさんもその周りを走り出しています。でも、ときに突風のように走りまくっていくかと思ったら、いきなり足踏みをするようにぐるぐる回り出したりと気まぐれです。野外ステージ前の石のベンチの上で、近所からきているおじさんと将棋を差したりもしています。次いで、わたしたちは池に浮かんだボートを漕いでいきます。ミタカさんはその上でのけぞって、空を眺めているうちに重心を失い、ひっくり返って、池のなかへ落ちてしまいました。姿の見えなくなったミタカさんは池の底をつらつら眺めて回った後、ルビーの指輪を拾い上げてきて、わたしにプレゼントしてくれました。

　井の頭からジブリ美術館まではミタカさんの足ならほんの一歩というところです。ミタカさんの空気のように広がる姿が見えました。穴ぐらの向こうの先からじっとこちらを覗き込んでいるのはだれでしょう。それから、ミタカさんとわたしはジブリ美術館からネコバスをチャーターして、楽々と上空を天翔け、野川公園までやってきました。緑が美しく、空は少し霞がかっていますが、穏やかです。ミタカさんは公園の広々とした芝生の上で昼寝を始めました。寝息が風となって、コナラや、クヌギの木立ちを揺すっていきます。寝返りを打つと、樹上の鳥たちが驚き、いっせいに飛び立っていきます。ミタカさんがよだれを垂らすと、それは野川の流れのなかへと注ぎ込んでいきます。ミタカさん、生まれは一八八九年。長生きしたよ、ミタカさん。

　ようやく目覚めた後に、ミタカさんはわたしを国立天文台へと連れていってくれます。そこで覗き込んでいるのは大型望遠鏡です。太陽の黒点を観測しているのですが、わたしのことなどほっぽり出して、うつつを抜かしています。でも、何やら黒点の数が増えてきたといって、興奮しています。ミタカさんの顔のほくろも増えたり、減ったりを繰り返しています。地震、活火山、温暖化に、磁気嵐。変化していく黒点は何を表しているのでしょう。

　そして、日も暮れると、お別れの時間になり、ミタカさんは帰っていきました。今夜は禅林寺の墓の下で眠るのだそうです。鴎外や、太宰に二十一世紀のこの国の話でも聴かせて上げるのでしょうか。

　ミタカさんは空気のようになって、空いっぱいに広がっていきます。すると、そこにひとつの顔が影となって、浮かび出てきます。その人はじっと穴ぐらのなかを覗き込んでいるようです。いったい、なかに潜んでいるのはだれなのでしょう。もしかしたら、お墓のなかから外の空を覗いているところなのでしょうか。

　ミタカさんは空に広がるミタカさんを眺めています。

　でも、わたしはルビーの指輪ももらったことだし、何より何より。

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