太宰治と三鷹

三鷹が登場する作品

薔薇の花とガーデニング

樹木に咲く花を太宰は好みました。船橋町の家を引っ越す時に、「玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、」(「十五年間」)と言ってもう一晩寝せてもらおうと頼んだと書いていることは、よく知られています。
玄関前に百日紅の植えられた三鷹の家に入居してからは、庭には薔薇を植えました。井の頭公園へ向かう玉川上水沿いには桜に混じって梅の木もありますが、それを作品にも書いています。戦時体制でもあり、家庭菜園が奨励されたことについても、様々に作中に描いています。「斜陽」では、伊豆の家のあるところを梅の名所とし、庭に薔薇の花が咲く設定となっています。

私の庭にも薔薇が在るのだ。八本である。花は咲いていない。心細げの小さい葉だけが、ちりちり冷風に震えている。この薔薇は、私が、瞞されて買ったのである。・・・・・・中略・・・・・・・
・・・この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。

「善蔵を思う」(昭和15年)

わが陋屋には、六坪ほどの庭があるのだ。

「失敗園」(昭和15年)

・・・・庭にトマトの苗を植えた事など、ながながと小説に書いて、ちかごろは、それもすっかり、いやになって、なんとかしなければならぬと、ただやきもきして新聞ばかり読んでいます。・・・・中略・・・・・・
きょうはこれから庭の畑の手入れをしようと思っています。トーモロコシが昨夜の豪雨で、みんな倒れてしまいました。

「風の便り」(昭和16年)

「先生、梅。」私は、花を指差す。「ああ、梅。」ろくに見もせず、相槌を打つ。

「黄村先生言行録」(昭和18年)

私の家の狭い庭に於いても、今はかぼちゃの花盛りである。薔薇の花よりも見ごたえがあるようにも思われる。とうもろこしの葉が、風にさやさやと騒ぐのも、なかなか優雅なものである。生垣には隠元豆の蔓がからみついている。けれども、どうしてだか、私には金が残らぬ。

「金銭の話」(昭和18年)

「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければいけないの?」・・・・・中略・・・・・
「とうとう薔薇が咲きました。お母さま、ご存知だった?・・・後略」

「斜陽」(昭和22年)