井の頭恩賜公園
井の頭恩賜公園は、大正6年(1917年)日本初の「郊外公園」として開園した。東京市養育院・井之頭学校の院長を務めていた渋沢栄一も公園化を後押しした。
もともと江戸時代から名勝地として知られてきた井の頭池や井の頭弁財天を中心に四季折々の自然に親しむことができ、昭和初期には井の頭池名物のボートが営業を開始、井の頭線の開通(昭和8年(1933年)~昭和9年(1934年))などを機に郊外公園として地位を確立した。
ところが、戦争末期には公園の名物でもあった杉林が空襲犠牲者を収納する棺おけの材料として伐採され、御殿山に設置された製材所で棺おけとされた。完成した棺おけは、ゾウのいなくなった上野動物園のゾウ舎や井の頭自然文化園のキリン舎に積み上げられたという。
なお、昭和20年(1945年)4月2日未明の夜間空襲では、「時限爆弾」が井の頭公園をまたぐように投下され、明け方になって爆発し、人々を恐怖に陥れた。戦後になり不発弾処理が行われた。
園内には井の頭池、お茶の水、七井橋、ボート場などの見どころのほか、松本訓導殉難の碑、野口雨情の歌碑、生誕90周年を記念して建てられた中田喜直の歌碑などがある。
- 所在地
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東京都三鷹市井の頭4
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