緑と水の公園都市 三鷹市
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広報みたか2025年1月1日2面

■2025新春対談「市民を元気づける『黒のカリスマ』が三鷹に降臨!三鷹の魅力を発信し、市民の誇りを高めるために」

 昨年11月、「ふるさと三鷹応援団」に蝶野正洋さんが就任しました。長年にわたりプロレス界で活躍し、現在は社会貢献活動にも力を入れる蝶野さんは「自分は三鷹市に育てられたと自負している」と言います。三鷹市が大切にするべきこと、災害時における自助の重要性、そして応援団としての期待と抱負について、蝶野さんと河村孝市長が語り合いました。

「半分田舎、半分都会」の三鷹市で育った10代
河村 蝶野さんと久しぶりにお会いしたのは昨年の7月、YouTube「蝶野正洋チャンネル」の取材でした。三鷹市の消防団員の方々と座談会をして、「黒のカリスマ」と呼ばれる蝶野さんが、防災をはじめ社会貢献活動に真摯に取り組んでいることを知り、そのギャップに惹かれ、「ふるさと三鷹応援団」への就任を猛烈にアタックしました。ご快諾ありがとうございました。

蝶野 自分は小学生のときに三鷹市民になり、成人式も三鷹市で迎え、20歳でプロレスの世界に入るまで三鷹に育ててもらいましたんで、地元に恩返ししなきゃいけないという思いは常々ありました。このたびは任命、ありがとうございます。ガッデム! アイアムチョーノ!

河村 出ましたね。往年のマイクアピール(笑)。蝶野さんが三鷹市に引っ越してきたのは小学何年生のときですか?

蝶野 5年生で北野小学校に転校しました。生まれはアメリカ、育ちは渋谷なんで、転校早々、隣のクラスの番長に目を付けられて「腕相撲で勝負だ」と。自分が勝ったんですが、その日のうちに仲間になって、すぐに遊んだりして、すごくなじみやすかったですね。

河村 渋谷から来たらずいぶんと違っていたでしょう。

蝶野 三鷹に来て、驚いたのは学校に広い土のグラウンドがどかんとあったこと。渋谷の小学校の校庭はアスファルトでした。家から学校に行くまでにも畑がたくさんあって、空き地で友達と野球をした。自分はサッカーが好きだったから、北野小学校、第六中学校でサッカー部をつくりました。いい経験だったし、みんなのびのびとしていて、地元愛が強かったですね。

河村 1970年代の半ばごろですね。私はその少し後に三鷹市役所に就職しました。当時は「開発が遅れている」という印象を持っていた人も多くいたことは事実ですね。後になって、実は遅れているのではなく、昔からの大切な田舎を守ろうとしている人々がいることに気付きました。今でも三鷹市は「半分田舎、半分都会」のようなところもあって、古いまちとしての良さもあるし、利便性の高い都市機能もある。両方の「良いところ」を生かそうとしています。

蝶野 「半分田舎、半分都会」っていうバランスが取れている三鷹を、無理に都会だけにする必要はないんじゃないかな。

河村 蝶野さんが10代を過ごした時代に比べると、都市化によって失ってしまったものもあるのかもしれません。だから、にぎわいも大切にしながら、昔からの変わらない三鷹も守り、新たなバランスをどのように決めるかがとても重要だと考えています。

消防団や行政の現実を学び、防災の自助を高める
河村 蝶野さんはどのようなきっかけで防災や救急救命などの社会貢献活動に携わるようになったんですか?

蝶野 プロレスは、練習や試合で事故やけががつきものです。2009年にライバル団体の三沢光晴選手が試合中に不慮の事故で亡くなりました。救急救命について学び直そうと思い、2010年に救命講習を受けました。当時、AED(自動体外式除細動器)が普及し始めていて、設置数で日本は世界一でした。でも、使い方が分かる人は限られている。東京消防庁の方から「2020年の東京オリンピックまでに使える人をもっと増やしたい」と言われて、啓発活動に協力し始めたのがきっかけですね。

河村 防災活動への協力も積極的ですね。

蝶野 東日本大震災のときに、一般市民のボランティアである消防団員の方々が津波の被害で254名亡くなったことを知りました。とてもショックを受けました。その事実も含めて、消防団の存在をもっとPRした方がいいと提案した。すると消防団の関係者は「私たちは黒子ですから」と言う。これは応援しなきゃと思ったんです。

河村 江戸時代の「火消し」といえば粋で、派手なイメージがありました。

蝶野 そうなんですよね。でも、今はどこか一歩引いている。消防団のPR活動を通じて分かったのは、消防や警察、市役所もそうですけど、本当に少人数で仕事をこなしていて、それをみんなが理解していない、ということです。何かあると「消防や警察が来てくれるだろう」「市役所がやってくれるだろう」と思い込んでしまう。でも、救急車にしても、数万人に1台しかない。それは、行政の方々も言いづらいことだと思うんですよ。

河村 その点を理解してもらえるのはうれしいですね。

蝶野 消防団として防災活動に関わる市民も千人に1人ぐらいしかいない。だから、防災に関しては、犠牲者を減らすためにはとにかく「自助」を強化しないといけない。市民一人ひとりが防災について学ぶ。そうすれば、きっと消防団や行政への感謝の気持ちも生まれると思うんですよね。

河村 「自助」で自分の身をできるだけ守って、余裕ができればお手伝いの「共助」をする。それでもできないところに消防や警察が「公助」で駆け付ける。まず自助があるからこそ、人数が少なくても共助の仕組みである消防団が活躍する余地ができると思います。

蝶野さんは三鷹市民の安心感を高める守護神
蝶野 消防や警察のイベントをお手伝いしていますが、自分の役割は注目を集めるための「客寄せパンダ」だと思っています。プロレスを通じて高めたネームバリューを何に使えるのかと考えたときに、防災や救急救命、防犯の啓発活動に行き着いた。

河村 長年にわたり、プロレスの世界で活躍された蝶野さんの実績がみんなの心に残っています。子どもからシニアまで、かなり広い世代が蝶野さんのことをご存じだと思いますよ。その蝶野さんが紳士的に社会貢献の活動に取り組んでいる。みんな蝶野さんの今の生き方を見ていると思います。「黒のカリスマ」が「黒子のカリスマ」になって、消防団を応援しているって、すごくすてきだと思います。

蝶野 悪いことはできないですね(笑)。

河村 昨年は三鷹市でも強盗未遂事件があり、市民の不安が広がりました。蝶野さんが応援団になってくれるだけで安心感が高まります。守護神に近い役割をしてもらえると思います。心強い存在です。

三鷹の魅力を語り、市民を元気づけてほしい
蝶野 応援団として、三鷹市の認知度を高めたいですね。三鷹市は充実していて、市民の満足度も高いから宣伝をする必要はないのかもしれない。でも、以前とても有名なメーカーの人に「ブランドが知られていてもコマーシャルを打つのは、製品を使っている顧客に信頼してもらうため」と聞いたことがあります。三鷹市に住んでいる市民が誇りを持てるようなブランディングをしてもよいと思います。

河村 そう思います。三鷹市にはさまざまな魅力があるので、何にフォーカスしてブランディングをしていくかはとても重要なテーマです。その魅力の一つが、蝶野さんのお話に出てくる「懐かしい三鷹」のイメージです。そのイメージは三鷹の魅力の源流であり、だからこそ、その魅力を語ってくれる蝶野さんの存在は大きいです。

蝶野 三鷹に育ててもらいましたからね。失敗続きの時期でも、学校の先生は「蝶野、お前はスポーツを一生懸命やっていれば大丈夫だ」と励ましてくれました。

河村 三鷹市の魅力は多様な顔を持っていることです。太宰治が苦悩した人生を生きたまちであり、蝶野さんがやんちゃな青春時代を過ごしたまちでもある。人によって形は違えど、人生って大変な時期もあるものです。三鷹市にはそれを大きく包み込む懐の深さがある。市民の皆さんは今の蝶野さんの姿を見て、うれしいと感じてくれると思いますよ。

蝶野 自分は今年62歳になります。50代の半ばからは、腰の不調に悩まされ、手術もリハビリも経験しました。今、少しずつだけど、盛り返して自信も生まれています。そういった経験も生かして、不安を抱えて生きている中高年に勇気を与えられる、道しるべのような存在として頑張りたいですね。

河村 ぜひ、お願いします。幅広い機会で市民を元気づけてください。あ、ビンタはいいですから(笑)。よろしくお願いします。

河村 孝 市長 Takashi Kawamura
 1954年、静岡県静岡市生まれ。1977年、早稲田大学卒業後、三鷹市に就職。企画部長として、都立井の頭恩賜公園への三鷹の森ジブリ美術館の誘致を実現。2003年から3期12年にわたり助役・副市長として市政を支える。(株)まちづくり三鷹代表取締役会長、(公財)三鷹市芸術文化振興財団理事長、(公財)三鷹国際交流協会理事長などを歴任し、2019年4月に第7代三鷹市長に就任(現在2期目)。まちづくりと一体となった防災・減災対策に取り組む。大学在学中に始めた空手は黒帯。

蝶野 正洋 さん Masahiro Chono
 1963年、米国シアトル生まれ。渋谷区を経て、三鷹市立北野小学校、第五中学校、第六中学校(1期生)。1984年に新日本プロレスに入門。以来、新日本プロレスG1クライマックスでの5大会優勝やNWA世界ヘビー級王者、IWGPヘビー級王者など数々のタイトルを獲得。2014年、災害時における公助・共助・自助の普及啓発を中心とした社会貢献を行う(一社)NWHスポーツ救命協会を設立。自治体をはじめとする消防や救急救命に関する広報の支援活動を行っている。

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