緑と水の公園都市 三鷹市
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広報みたか2024年1月1日4面

■2024年新春対談「"太宰が生きたまち・三鷹"で育む新たな文化」

 太宰治は昭和14(1939)年から三鷹に暮らし、『走れメロス』『斜陽』『人間失格』など、今も読み継がれる名作の数々を執筆しました。三鷹市は「太宰が生きたまち・三鷹」を掲げ、太宰治に関する文化事業を行っています。令和6年の新春対談は、太宰文学研究の第一人者で、太宰治文学サロンへの「山内祥史文庫」の橋渡しや、「太宰治展示室 三鷹の此の小さい家」の監修など多くの市の事業に協力してくださっている安藤宏さんと河村孝市長が、太宰治を通して高められてきた「文学」と「まち」のつながりや市の文化的価値について語り合いました。

友人たちと競い合って太宰作品を読んだ学生時代
河村 太宰の作品を読むと、最初は私小説であると感じます。でも、自分のこと、故郷のこと、家のことなど、本当のことを書いているようで、本当かどうか分からないところが面白いですね。2番底、3番底があるというのかな。

安藤 太宰の作品は、本音である保証はないけれど、何のためにこの小説を書いているかを読者に伝えてくれます。今は「この情報は誰が何のために発信しているのか」という「情報に関する情報」がとても不足している時代です。本音を聞けない時代だから、自分だけに語り掛けてくれるように感じる太宰の作品に参っちゃう読者が多いんだと思います。そして、非常に時代を先取りしていた。太宰の文体は、ネット時代の孤独の体現者として、「ブログ」の文体に似ているとよく言われます。

河村 太宰は、とても鋭いことをバサッと言うのが魅力。でも、すぐそれにツッコミを入れて、次の話につないでいく。それが本当にうまい作家です。

安藤 以前から思っていたんですが、河村市長はかなり太宰作品を読み込んでいますね。どんな出会いだったのですか。

河村 そんな立派なものではありません。学生の頃、同級生や先輩はみんな太宰が好きで、「この作品をどう思う?」と聞かれるわけです。読んでいないときは話をはぐらかして、一晩で一気に読む。恥ずかしながら、そんな読み方をしていました。

安藤 「あいつが読んでいるのに、俺が読んでいないのはけしからん!」とムキになってね(笑)。そういう時代でしたね。若い頃にそういう経験をされた方が三鷹市長であることは本当に心強いです。

都心と絶妙な距離の三鷹で豊かな作品世界を築く
安藤 河村市長は市の職員だった頃、太宰治賞の復活にも尽力されたと聞いています。

河村 安田市長の時代に「三鷹は文学のまちだから、太宰治賞を復活しよう」と言われ、取り組み始めたんです。ただ、文学と行政は対極に近い存在です。文学関係者に「行政と文学は関係ない!」と反発されても仕方がないことは強く意識していました。

安藤 僕も文学畑で育っていたから、昔は文学と行政は対極にあると思っていました。でも、三鷹市の太宰治のまちづくりのお手伝いをして、考えが変わったかもしれない。関わり始めて15年がたちますが、「文学はまちが創っていくもの」であることを深く学びました。

河村 どんな学びが大きかったですか。

安藤 太宰の本質的なところに、三鷹がかなり関わってくるんです。「中央に対して自分は隔たった人間である」というのが、太宰の自分づくりです。東京の郊外である三鷹に住むという位置取りが絶妙だった。『東京八景』という作品でも、都心と自分の関わりをうまく書けない二流文士に自分を投影して、「都心じゃない、郊外だ。ここで新しい文化を、ささやかだけど創っていくんだ」という決意が述べられています。

河村 太宰が暮らしていた時代の三鷹は、村から町になり、太宰が亡くなった2年後に市になりました。当時は農村地帯に近かった。先日、太宰の生家である「斜陽館」(青森県五所川原市)を訪れたのですが、周りは地平線まで田んぼでした。太宰が三鷹を選んだ意味を感じました。当時の三鷹は、田舎のイメージを残しながら、向こう側に都心がある場所だったんです。

安藤 そうなんですよ。太宰は三鷹が郊外であることをうんと強調した。戦時中ですから、「戦時下の体制」と「自分」の距離を、都心と三鷹の距離に重ね合わせている。それを上手に使いながら、あれだけ豊かな作品世界を築いていく。三鷹時代は、太宰が一番、脂が乗っていた時期でした。

河村 確かに、戦時中にあれだけの作品を書いている作家ってほとんどいないですよね。

安藤 でも、戦争で疎開し、しばらく郷里に戻って帰ってきた三鷹は復員兵士で一気に人口が増えていた。まさに戦後の混乱と復興の中心。三鷹駅前の踏切で、マントを羽織ってたたずむ太宰の写真が残っています。戦後の混乱を生きる無頼派の旗手。郊外の二流文士だったはずが、時代の最前線の超人気作家になってしまった。それが太宰にとっての一番の不幸だったと思います。

三鷹は誰もが参加して独特な文化を創れるまち
河村 ところで安藤先生は、太宰以外にも三鷹とのご縁があるそうですね。

安藤 姉夫婦が新婚時代に下連雀に住んでいて、よく遊びに行きました。ほんの何年かでしたが行き来していたので、三鷹市には親近感がありましたね。でも、15年ほど前に太宰治のまちづくりでお声掛けいただいたときは躊躇しました。

河村 なぜですか?

安藤 僕自身は、よそ者ですから。三鷹の文化なのだから、本来は三鷹の方々が内側から創っていくもので、僕がしゃしゃり出ていいのかな、という意識がありました。でも、三鷹市民19万人も元々は市外から来た方が大半です。だとしたら僕も同じじゃないかと。三鷹は都心から少し離れている。だから独自のステータスがあり、独特な文化が創れるまちです。「お手伝いしますから、一緒に三鷹の文化を創りましょう」と思わせてくれるまちなんですよね。

河村 これまで太宰に関する企画を進める中でさまざまな議論をしてきました。三鷹は太宰が亡くなったまちだけど、「太宰が生きたまち」でもあって、一番元気で、家庭を持ち、安定していっぱい作品を作ったまち。太宰が一生懸命生きたことの検証をしながら、三鷹のアイデンティティーを考えるんです。私を含め、市民の多くが外からきた「よそ者」なんですけれどね。でも、『三鷹市自治基本条例』では住んでいる人だけでなく、まちで活動する人も市民と言っているわけです。つまり、三鷹のことを思う人はみんな「市民」なんです。

安藤 そういう意味では僕も「市民」ですね。みんなが集まってくるオープンなまち。そこで太宰の文学そのものとは違う何かを地域で育む。それこそが一つの文化だと思います。

30年続く文化のまちづくりその火を絶やさずに
安藤 先日、三鷹駅のそばにある「桜井浜江記念市民ギャラリー」を訪れました。とても感心したのは、桜井さんと親交のあった太宰の名前をあえて一言も使っていないことです。活躍していた一人ひとりを大切にする姿勢を続けてほしい。と同時に、それぞれが頑張っていて、実はつながっている「三鷹文化ネットワーク」とでも言うのかな。それが新しい文化を創っていたことにも着目するといいと思います。

河村 昔とはまちの風景は変わってしまったけれど、かつてのネットワークを想像できる場所としての三鷹になると面白いですね。

安藤 僕の記憶では、三鷹市が「太宰が生きたまち」という文化を創り始めたのは平成4(1992)年ごろです。それから30年かけて育んできた歴史がある。その火は消さないでほしい。さらに、太宰に関する長年の取り組みと社会的な信用で、太宰の資料は三鷹に任せたいと思わせる、立派な受け皿になっています。このことを大切にしてください。そして、ぜひ、太宰治記念館をつくっていただきたい(笑)。

河村 記念館は何も決まっていませんが、私なりの思いはあります。三鷹市には「子どもの森」という再開発構想があり、子どもたちが楽しめる空間づくりを考えています。例えば、そこにも太宰がいる。太宰の作品には、きれい事だけではないことが描かれています。子どもの森を、単なる遊び場にせずに、つらい思いを抱える子どもたちにも向き合う森にしたいと考えたときに、太宰はすごく大きな役割を果たすと思います。ぜひ、先生もご協力をお願いします。

安藤 もちろんです。三鷹「市民」の一人として。

河村 今後もよろしくお願いします。ありがとうございました。

河村孝市長 Takashi Kawamura
 1954年、静岡県静岡市生まれ。1977年、早稲田大学卒業後、三鷹市に就職。企画部長として、(株)筑摩書房との共催で太宰治賞の復活に尽力したほか、都立井の頭恩賜公園への三鷹の森ジブリ美術館の誘致を実現。2003年から3期12年にわたり助役・副市長として市政を支える。(株)まちづくり三鷹代表取締役会長、(公財)三鷹市芸術文化振興財団理事長、(公財)三鷹国際交流協会理事長などを歴任し、2019年4月に第7代三鷹市長に就任(現在2期目)。

安藤宏さん Hiroshi Ando
 東京大学大学院人文社会系研究科教授、文学博士。1958年生まれ。1982年、東京大学文学部を卒業。1987年、同大学院博士課程を中退。同文学部助手、上智大学講師、助教授を経て、1997年、東京大学大学院人文社会系研究科に着任。専攻は太宰治を中心とする日本の近代文学。著書に『「私」をつくる 近代小説の試み』(岩波新書、2015年)、『日本近代小説史 新装版』(中公選書、2020年)、『太宰治論』(東京大学出版会、2021年)などがある。

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