広報みたか2014年1月1日4面
■新春対談「音楽と笑顔で心をつなぐ真のバリアフリーを実現したい」
2013年秋、「スポーツ祭東京2013」(第68回国民体育大会・第13回全国障害者スポーツ大会)が都内全域で行われました。味の素スタジアムで開催された両大会の開会式で演奏を披露した、ヴァイオリニストの増田太郎さんは、幼少期から青年期を三鷹市で過ごされました。
今年の新春対談では会場となった味の素スタジアムに増田さんをお迎えし、開会式でのエピソードや三鷹市での思い出、音楽との出会い、そして東日本大震災の被災地での復興支援活動についてお聞きするとともに、20歳で視力をなくされたという立場から三鷹市が取り組むバリアフリーについても語り合いました。
2014年新春対談 増田太郎さん(ヴァイオリニスト)×清原慶子市長
誰もがみんな人生の挑戦者
清原 「スポーツ祭東京2013」では、国民体育大会と全国障害者スポーツ大会のそれぞれの開会式で演奏されました。どのようにお感じになりましたか。
増田 二つの大会を「スポーツ祭東京2013」という一つの大会として開催する趣旨に感銘を受けましたし、両大会の開会式で演奏させていただいたことはとても光栄でしたね。
清原 私は、三鷹市の実行委員会会長として両大会の開会式に出席しましたが、増田さんがソロを弾かれている姿がステージ両脇の大型ビジョンに大きく映し出されていました。何万人もの人々が集中して、増田さんの演奏に聴き入っている一体感は非常に感動的でした。
増田 ありがとうございます。ほかの演奏家はロックやサンバなど大人数でしたが、僕のパートだけピアノとヴァイオリンのソロでした。素晴らしい舞台を用意していただいたと思います。
清原 さらに、全国障害者スポーツ大会では開会式に加えて、府中市の少年少女合唱団とのミニコンサートにも出演されましたね。今回の演奏にどんな想いを込められましたか。
増田 出演の依頼を受けたとき、新曲を書き下ろそうと決めました。日ごろからアスリートたちを支え、励ましている人々が必ずいます。さらには、この瞬間に、さまざまな場所で懸命に挑んでいる人々がいます。そのすべての人々にささげる歌をつくりたいと思いました。
清原 それが「君は挑む、その先の未来へ」という曲ですね。歌詞も、メロディーも、歌声も、演奏も本当に素晴らしかったです。
増田 清原市長にも演奏を聴いていただけたことはうれしかったですね。この曲は、「挑む」「生きる」がテーマです。エンディングでは「ともに生きる」というメッセージに結実させることに心を砕きました。
清原 増田さんは視覚に障がいがおありですが、全国障害者スポーツ大会での演奏には格別な想いがありましたか。
増田 僕にとっては、目が見える、見えないということよりも、すべての人が挑戦者であるということが大切です。開会式のときに、「すべての人がアスリートだ」というメッセージがありました。誰もがみんな人生の挑戦者である。そこがスタートラインであることを強く意識させてくれた大会でしたね。
5歳から始めたヴァイオリン学んだことはすべてつながっている
清原 三鷹とのご縁はいつからですか。
増田 住むようになったのは小学2年生からです。市内の明星学園で小学1年生から高校まで学びました。
清原 どんな子ども時代でしたか。
増田 僕は生まれつき弱視でした。でも、クラスメートとは、放課後に野球や音楽、そして自転車に乗って走り回って遊んでいました。
清原 どこで遊んでいたのですか。
増田 やっぱり井の頭公園ですね。くまなく遊び回りましたよ。
清原 お友達と一緒に、元気に過ごされたのですね。
増田 高校を卒業した10代の終わりに視力が急に落ちてしまい、明暗を感じる程度のところで落ち着きました。でも、明星学園の友達はまったく変わらずに僕に接してくれました。
清原 お友達やご家族の対応が変わらなかったのは大きいことだったのですね。
増田 それと音楽があったことです。音楽は言葉以上のコミュニケーションツールになっていたので、相手と響き合うことができました。音楽という手段を自分が持っていたのは本当にラッキーでした。
清原 ところで、ヴァイオリンと出会われたのはいつでしたか。
増田 5歳のときです。
清原 きっかけは何だったのですか。
増田 僕の父はギターを弾いて、歌うのがとても得意でした。幼い頃から父を見ていて、とても憧れていました。5歳のときに「僕もギターが弾きたい」と両親にねだりました。両親は僕にクラシック音楽を学ばせたいと思っていたので、「ギターを弾くには、ヴァイオリンを弾けるようにならなきゃいけないんだよ」と言ったのです。僕は「うん、わかった」と素直にヴァイオリンを学び始めました。
清原 ヴァイオリンを学び始めたことは、後に音楽家となる増田さんにとって、今思えば大切な出来事だったんですね。
増田 中学生になると友達とバンドを組もうということになり、ギターを弾き始めたんです。すると、父が言っていた通り、すぐに弾けるようになりました。
清原 お父さんのおっしゃっていたことは真理だったんですね。
増田 僕は高校を卒業して、松任谷正隆さんの主宰する音楽の専門学校でアレンジの勉強をしました。そこでもヴァイオリンを学んだことは役に立ちましたね。やってきたことはすべてつながっている、そう思いました。
清原 好きな音楽家は誰ですか。
増田 ステファン・グラッペリというフランスのジャズ・ヴァイオリニストです。彼と出会ったことで、ヴァイオリンってこんなに自由に弾いていいんだと感じました。すでに亡くなられましたが、一度だけ直接お目にかかり、お話しをすることができました。
清原 会話の中で何かメッセージは受け止められましたか。
増田 とてもにこやかに迎えていただいて、握手した時も、本当に柔らかい手で包んでくれました。「自由にやることが大切だよ」と言っていただきました。
笑顔のキャッチボールでバリアフリーのまちづくりを
清原 平成23年3月11日に東日本大震災が起きました。三鷹市でも、さまざまな被災地支援、復興支援を続けてきましたが、増田さんも取り組みをされてきたとお聞きしています。
増田 今まで演奏で訪れていたまちが、「被災地」として報道され、それを見たときに、「自分には何ができるんだろう?」と考えました。そこで、「希望の景色」という曲をホームページで発表しました。震災の直後です。
清原 どんな想いでつくられたのですか。
増田 「たとえ今、不安のなかにあったとしても、希望を胸に未来に向かってともに歩き続けていけますように」という想いを込めました。その後、訪れた東北の各地や全国のステージで、この曲を演奏し続けています。
清原 観客の反応はいかがですか。
増田 コンサートでは、会場でいただく「拍手」が曲を重ねるごとに変わっていきます。最初は緊張気味の拍手です。でも、どんどん温かく、にこやかで、生命力あふれる拍手になっていくんです。
清原 拍手の音色が変わり、意味が変わってくるんですね。増田さんには拍手のなかに笑顔が見えるんですね。
増田 そうなんです。目の前の人が笑顔で話しているか、僕にもちゃんとわかるんです。
清原 増田さんは、演奏や歌、そして語りを通して聴く人の心を解きほぐしている。被災地での、そんな光景が目に浮かんでくるようです。
増田 ホームページにメッセージを送ってくれる方もいらっしゃいます。震災からご自身に起きたこと、そして音楽に触れて感じた想い。そんな言葉をいただくと、本当にうれしいですね。
清原 増田さんの音楽は人と人の心の垣根を越えて伝わっているんですね。三鷹市でもバリアフリーの取り組みを行っています。高齢者や車いす利用者、視覚障がい者が移動しやすい歩道や建物といった物理的なバリアフリー。ホームページで情報の読み上げ機能を付けるなどの情報のバリアフリー。就職のバリアフリーとしては、障がい者就労支援センターを障がいのある方にも参加いただいて運営しています。そして、心のバリアフリー事業です。障がいのある方も、ない方も、心の垣根を持たずに一緒に生きていこうという取り組みです。
増田 素晴らしい取り組みですね。
清原 増田さんは音楽を通して、人と人の心をつなぐバリアフリーを実践されていると思います。三鷹市の取り組みへのアドバイスはありますか。
増田 僕は「心の握手」が大切だと思っています。そして、心と心で握手するための第一歩、それはやっぱり笑顔ですよね。笑顔ってほかの人を明るく照らし、温めてくれると思うから。そんなふうに心の握手が交わせたら素敵ですよね。
清原 人と出会ったときに、笑顔で交流できれば、自分は孤独じゃないって感じられますよね。
増田 一人じゃないってすごく大きいですよね。僕は音楽家として、観客からいただく拍手が生きる原動力になっています。行政と市民の関係も同じではないでしょうか。たとえば、施設利用者が「ありがとう」と笑顔で言えば、施設の運営者も「次はこんなことをしてみよう」と前向きに考えるようになるでしょう。音楽ライブのように、笑顔のキャッチボールができると思うんですよね。
清原 私たちも建設的な意見をいただくことで、より良い行政に変えていくことができます。みなさんが笑顔で提案しやすい市政を目指していきたいですね。
増田 ぜひお願いします!
清原 今後の音楽活動では、どのようなビジョンをお持ちですか。
増田 まず、2020年の東京オリンピックでの演奏を目指します。今回の「スポーツ祭東京2013」の経験も大いに生かしたいですね。夢は言い続けていればきっと叶います。「叶」という漢字は、「口で十(10)回言うこと」を表していますからね(笑)。
清原 そうですね。願い続ければ現実になるというのは普遍的な真理だと私も思います。これからもどうぞ三鷹市とのご縁を大切にしていただき、音楽家としての活動をさらに広げていってください。
増田 ありがとうございます!
増田太郎さん Taro Masuda
昭和43(1968)年生まれ。小学校から高校まで三鷹市内の明星学園で学ぶ。5歳よりヴァイオリンを始め、20歳で視力を失うが、その生命力あふれる演奏が新聞、テレビで話題となる。東日本大震災直後、楽曲「希望の景色」発表。アルバム「希望の景色」収録曲「Waltz Noir」がテレビ東京「美の巨人たち」エンディングテーマに起用される。平成24(2012)年、林真理子さんの直木賞受賞作で小西真奈美さん朗読のオーディオブック「京都まで」の音楽制作と演奏を担当。ヴァイオリンを弾きながら歌う
というパワフルなスタイルで、通常のコンサートに加え演奏と講演を融合させた「講演ライブ」を全国の自治体、企業、学校で展開。昨年、味の素スタジアムで開催された「スポーツ祭東京2013」の二つの開会式において演奏する。
清原慶子市長 Keiko Kiyohara
昭和26(1951)年生まれ。慶応義塾大学、同大大学院で学んだ後、ルーテル学院大学文学部教授、東京工科大学メディア学部教授・学部長を経て、平成15(2003)年4月に第6代三鷹市長に就任(現在3期目)。内閣府「子ども・子育て会議」、厚生労働省「社会保障審議会障害者部会」、国土交通省「国土審議会」をはじめ、内閣官房、総務省などの審議会等の委員や東京都市長会監事、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団副理事長、株式会社東京スタジアム取締役などを務める。「市民参加と協働」「行財政改革」の二つを市政の基礎に位置付け、「都市再生」と「コミュニティ創生」を最重点とした高環境・高福祉のまちづくりを推進している。
撮影協力:味の素スタジアム
平成13(2001)年に開業の多目的スタジアム。JリーグのFC東京、東京ヴェルディのホームスタジアム。天然芝フィールド(約7,600平方メートル)、人工芝フィールド(約12,600平方メートル)、スタンド(49,970席)、大型映像設備(2基)などを有する。柱のないスタンドで見やすさと快適性を実現し、日本最大級の天然芝フィールドはアスリートの最高のプレイを支える。サッカーやランニングイベント、コンサートなどの多彩なイベントのほか、昨年の「スポーツ祭東京2013」では、メーン会場として日本全国の選手・観客に大きな感動をもたらした。
第68回国民体育大会(写真上)と第13回全国障害者スポーツ大会(写真下)の開会式でエネルギッシュな演奏を披露する増田太郎さん。ご自身で作曲したヴァイオリンの旋律が味の素スタジアムに響きました。
〈写真上 撮影:緒車寿一/写真下 提供:スポーツ祭東京2013実行委員会〉
※写真はPDFをご覧ください。
増田さんの作品。左上から時計回りに、さまざまな出会いや盲導犬とのエピソードをつづったエッセイ「毎日が歌ってる」、ライブで好評の楽曲を集めたヴォーカル・アルバムCD「Present〜きみに届けたいこと〜」、初のヴァイオリン・アルバムCD「希望の景色」。いずれも増田太郎公式ホームページ(下記)で購入可能。
※詳細はPDFをご覧ください。
増田太郎さんの今後の活動は、2月19日(水)横浜市緑区主催「人権コンサート〜心の握手」(みどりアートパーク)ほか、3月に東北復興支援イベント出演予定。くわしくはMプロまで。
TEL03-6761-8875・FAX03-6761-8876[HP]http://tarowave.com/
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