緑と水の公園都市 三鷹市
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広報みたか2011年1月1日4面

■新春対談「中近東の悠久の歴史と三鷹をつなぐ」

清原慶子市長 × 阿部知之さん(中近東文化センター理事長)

 中近東の歴史を研究し、その成果を広く紹介する「中近東文化センター」は今年で開館32年を迎えます。発掘調査を手掛けるトルコのカマン・カレホユック遺跡では新たな史実を発見するなど、同センターが考古学の世界で担う役割はとても大きいものと言えるでしょう。

 市では、平成16年に同センターとの交流協定を結び、教育や文化の面での事業を協働して行ってきました。今年の新春対談では、清原慶子市長が阿部知之理事長に、トルコでの発掘調査やお正月の過ごし方などをお聞きし、センターと三鷹市の協働について語り合いました。

日本びいきの人が多いトルコに大使として約4年間滞在

清原 中近東文化センターでは三鷹市民との交流を深めていただいております。近年、特に力を入れているのはどんな活動ですか。

阿部 地域の皆さんに文化活動の場としてセンターを活用していただくことを進めています。中近東に興味を持っていただくきっかけとして、まずはこのセンターに足を運んでいただければと思っています。三鷹市からは市立中学校の皆さんが見学に来られています。教育支援学級には学芸員が出向いてお話をすることもやりましたね。

清原 中近東地域は、日本では一般的に認知度が低いと思われがちですが、三鷹市には中近東文化センターがあるおかげ様で、多くの情報を得られる事で心理的に近く感じられるようになっています。来館される皆様にセンターが中近東の世界への扉を開いてくれています。ところで、理事長は中近東とどのようなご縁をお持ちですか。

阿部 中近東文化センターの理事長になる前は4年間、トルコの大使をしていました。

清原 住んでみてどんなことを感じられましたか。

阿部 トルコ人は理屈抜きで日本人に好意的で驚きました。でも、トルコ人自身もなぜだか正確には分かっていないようです。

清原 私自身はトルコに行った事はありませんが、明治23年に日本を訪問していたトルコの軍艦、エルトゥールル号が、帰路の途中に和歌山県の串本町沖で遭難し、地域の人々が非常に熱心に救助し、保護したという史実があるそうですね。実は私の父が和歌山県の出身で、「トルコの人々は恩を感じてくれている。トルコはとても近い国だ」と言っていたのを思い出しました。

阿部 この救助の歴史はトルコの教科書にも書いてありますので、トルコ人は誰でも知っています。ただ、日本で海の難所に面している村々は、ずいぶんと外国の船を助けているので、それが理由ならば、親日の国がもっとたくさんあっていいはず。結局、なぜ日本人を好きか分からないんですよ。

清原 不思議ですね。そのように日本人に好意的な国で、滞在中印象に残った出来事はありますか。

阿部 センターでは、トルコの真ん中にあるカマンという場所で発掘調査をしていますが、ちょうど私が大使をしているときに、発掘現場の近くにアナトリア考古学研究所の主要部分が完成して落成式がありました。寛仁親王殿下やトルコのエルドアン首相も出席された盛大なもので、大使でしたから式典にもいろいろと関わりました。今思えば、それがセンターの理事長になるきっかけだったのかも知れません。

現地の人々に意識が芽生え 大切な遺跡を盗掘から守る

清原 そのカマンでの発掘調査がされているのはカレホユック遺跡ですね。

阿部 そうです。発掘調査は、「これを見つけよう」とか何かを証明するために行うことが多いのですが、この調査はまったく違います。「歴史の物差し」(文化編年)を作ることが目的なのです。

清原 発掘する事で、年代ごとの変化を見られるような「基準」ができるんですね。

阿部 トルコという地域は、人類に文明ができてから現代に至るまでの歴史が、ほとんどすべて積み重なっています。とりわけカレホユックという場所は東西の道と南北の道が交わっている地域なので、人類史のかなりの部分が埋まっているだろうと考えたわけです。だからこそ、時代を証明する物差し作りに向けて発掘調査に取り組んでいました。

清原 発掘作業には現地の皆さんも関わっていると聞きました。

阿部 チャウルカンという村の人々に手伝ってもらっています。発掘作業は毎年行っていますから、同じ人が毎年来るうちに、経験や知識を持つようになりました。発掘隊長を務めるアナトリア考古学研究所の大村所長は村人の協力の重要性を唱えており、早い時期から毎週1回、村人を集めて、この遺跡では何が分かっているかの講義をきちんと行ってきました。20年以上やっていれば、開始当時は子どもだった人が立派に図面を引けるようになり、本気で考古学を志す人も出てきました。

清原 発掘は、いわばトルコ国民との協働の作業だったのですね。地域の人々を養成して、協力を得られた事の最大の利点は何でしょう。

阿部 村人たち自身が「ここは自分たちの遺跡だ」と思うようになったことです。他の遺跡では盗掘がひどい状況にあります。外国人がわざわざ掘りに来ているんだから、きっとお宝が埋まっているのだろうと。盗掘が一番厄介で、調査に大きな支障をきたします。自分たちの遺跡であると地域の人々が意識してくれると、よそ者が掘りに来たら追い返してくれるのです。

清原 文化編年がわかる遺跡としての価値を守ることにつながるんですね。

阿部 そうです。そこまで行けば彼らが自立して発掘することが可能になってくるんです。もう一つは、遺跡のすぐそばに研究所や博物館を作り公開しているので、誰もが研究資料にできるということです。

清原 広く開かれた施設は、研究の発展にも大変貢献しますね。何よりも尊いのは、中近東文化センターが三鷹市にあることで、展示や講演会を通じて、中近東文化に関わる世界的にも最先端の研究の「現場」と三鷹市のセンターを通じて、多くの人々が、知識や情報としてだけでなく実体験として有機的につながれることです。本当に素晴らしいことです。

すべての人々に肉料理を振る舞うトルコの犠牲祭

清原 トルコ大使時代は、どんなお正月を過ごされましたか。

阿部 大使館では現地の日本人向けのお祝いをします。一方で、トルコでも新年は祝いますが、1月2日からはフル回転で働くんですね。

清原 そうですか。では、日本のお正月に当たるようなお休みは何でしょうか。

阿部 イスラムの国々には大きな区切りが二つあります。一つは断食です。断食が終わるとかなり大掛かりなお祭りが行われます。もう一つは犠牲祭。断食明けから70日後に行われるものです。この日になると街に羊がたくさん連れて来られて、食用に処理されます。大量に肉料理を作って、神に捧げるのが本来の趣旨ですが、実際にはむしろ、肉料理を普段は食べられないような人たちに振る舞うことが目的です。これらが感覚的に日本で言うお正月ですね。

清原 やはり宗教と密接につながっているんですね。何月に行われるのですか。

阿部 太陰暦ですから毎年移動します。昨年は9月上旬に断食が終わったので、11月でしたね。その時期になると、日本のお正月と同じで街を歩いていても、お店はほとんど開いていないし、とてもシーンとしています。羊だけがメェーっと鳴いています(笑)。

市と市民、センターが協働し、中近東と世界への扉を開く

清原 さて、平成22年は9月にビュクリュカレという場所で大変貴重な粘土板を発掘されたと聞いていますが、平成23年の抱負をお聞かせ願えますか。

阿部 ここ数年、カマンの発掘現場では非常に大きな発見が続いています。紀元前12世紀から紀元前8世紀までの時代は、「暗黒時代」と呼ばれ、トルコには特徴的な文化はなかったと言われてきました。しかし、カマンでは、その時代の文化を証明するようなものが発掘されました。面白いことに、一度見つかると周辺でも続々と遺跡が発見され始め、結果として、ヨーロッパの教科書ではその記述が書き換えられています。

清原 まさに通説を覆す大発見ですね。

阿部 さらに、紀元前12世紀以前のヒッタイトという時代は鉄器を使うことから「鉄の時代」と呼ばれているのですが、カマンではそれより前の年代の地層からも鉄が見つかっている。これが現在の大きなテーマです。ただ、カマンの遺跡はヒッタイトの層が薄くてよく分からない。そこで、車で30分ほどのビュクリュカレという場所で掘ってみたら、ヒッタイト時代の大要塞が出て、さらに中央からビュクリュカレへの指示を記した粘土板の破片の発見につながったわけです。

清原 今年の発掘にも大きな期待がかかりますね。発掘現場では活発な調査活動が行われていますが、中近東文化センターの博物館の展示についてはいかがですか。

阿部 現在の展示(「ペルシアの宝物」、下記参照)も興味深いですよ。3〜7世紀に西アジアを支配したササン朝ペルシアの時代が中心ですが、展示されている陶器の破片には奈良の西大寺跡から発掘されたものもあります。

清原 中近東と日本の古都、奈良とに明らかな結び付きがあったということですね。

阿部 そうなんです。センターの博物館では、ただ中近東の歴史を紹介するだけでなく、日本との関わりにも焦点を当てていきたいと考えています。

清原 センターの企画展にお伺いすると、「過去とのつながり」をとても強く感じます。中近東は文明発祥の地の一つと教わってきましたが、本を読むだけではなかなか実感できません。でも、展示によって、中近東からアジアを経て日本へ伝わって来た器や織物、文様の本物を拝見するととても実感ができる。それもセンターが収集して、保管して、展示されているからこそです。器一つが歴史を物語り、老若男女を問わず歴史を感じることができる、これは本当に素晴らしいことです。数年前からは毎年夏になると子ども向けに、体験型の歴史講座も実施されていますが、これは大人が思う以上に子どもたちの心に残ると思います。

阿部 そうですね。今年の夏はコーヒーをテーマに、世界中の器具を展示したいと思っています。展示は企画する側が自分たちで面白がっているだけでは意味がありません。センターの博物館ではクイズを解きながら展示を見ていくということも行っています。展示を理解する「手掛かり」ですね。これはボランティアスタッフの提案です。ボランティアの方々の貢献は本当に大きいです。

清原 私は学術や文化には謙虚さが大切だと思っています。センターを利用する私たちも、学術文化に敬意を払いながら、身近に感じられる喜びを広げていきたい。一人でも多くの方に来館していただき、センターの取り組みに直接出会って、関わってほしいですね。そして、三鷹の子どもたちから未来の考古学者が生まれたらいいなぁ、と願っています。ぜひ、今年も中近東文化センターと三鷹市との協働の取り組みを深めていければと願っています。今日は本当にありがとうございました。

清原慶子市長 Keiko Kiyohara
昭和26(1951)年生まれ。慶応義塾大学、同大学院で学んだ後、ルーテル学院大学文学部助教授・教授、東京工科大学メディア学部教授・学部長を経て、平成15(2003)年、第6代三鷹市長に就任(現在2期目)。内閣府・総務省・国土交通省などの委員や東京都市長会厚生部会長を務める。市民参加と協働を地域主権の原動力とした市政運営を進め、三鷹の自然・文化・歴史を大切にして、魅力ある三鷹の創造に取り組んでいる。

阿部知之さん Tomoyuki Abe
昭和17(1942)年、東京都生まれ。昭和42(1967)年、東京大学教養学科卒業。外務省に入り、イギリス、フィリピン、タイ、インドネシア、アメリカ(シカゴ)などで勤務。平成15(2003)年8月〜19(2007)年10月までトルコ大使を務めた。その間、同国のカマンで中近東文化センターが行っている発掘現場を何度か訪問し、考古学について興味を持つようになった。この関係もあって、トルコから帰国後の平成20(2008)年3月、同センター理事長に就任。

※詳細はPDFをご覧ください。


■中近東文化センター附属博物館 企画展「ペルシアの宝物―至高のガラスと銀の世界―」

2月27日(日)まで
※1月6日(木)まで休館中。

 シルクロードを通って日本にも伝わったイランの銀器やガラスの美しさを紹介します。同館の所蔵品だけでなく、岡山市立オリエント美術館や東京大学の美術・工芸品も展示。また、ペルシア文化が日本文化に与えた影響を考えながら、「日本人にとってのオリエント、ペルシアとは何だったのか」をひもときます。

※詳細はPDFをご覧ください。


※詳細はPDFをご覧ください。


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