緑と水の公園都市 三鷹市
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広報みたか2010年1月1日4・5面

■新春対談「名作文学を生み出してきた三鷹の風土」

 女性の心の機微を丹念につづる津村節子さん。そして、徹底した史実調査によって壮大な人間ドラマを描いてきた故・吉村昭さん。戦後の日本文学を代表する二人の作家はご夫婦であり、作品の大半を三鷹で生み出されてきました。

 お二人の文学の大ファンである清原慶子市長が津村節子さんに、三鷹での生活や吉村さんとの出会い、そして今年市制施行60周年を迎える三鷹市への期待などについてお聞きしました。

井の頭の緑にひと目ぼれ 三鷹市へ転居して40余年

清原 今日、津村先生にお越しいただいている「みたか井心亭」のこの部屋は太宰治賞の選考会場なんです。太宰賞は昭和39年に創設されて、53年に中断しましたが、平成10年に筑摩書房と三鷹市の共催により復活しました。吉村昭先生には復活からの5年間、選考委員をお引き受けいただきました。

津村 三鷹にこんな風雅な場所があったのですね。吉村は第二回太宰治賞を受賞しました。第一回は該当作がなかったので、実質第一号となります。

清原 当時はどこにお住まいでしたか。

津村 東伏見です。目の前にお稲荷さんの林があってよい環境でしたが、大きな道路が通る計画ができて、いずれは立ち退くことになったのです。吉村は気が早くて、すぐに土地を探し始めました。といっても探すのは私ですが。

清原 三鷹に決めた理由は何ですか?

津村 あちこち回ったのですが、井の頭公園に隣接する今の宅地に出会ったときはひと目ぼれでした。公園の緑が見えるし、夏はひぐらし、秋になると虫が鳴きます。丹羽文雄先生の奥様が「作家が軽井沢に別荘を持つのは仕事をする上で決してぜいたくではありませんよ」とおっしゃったことがあります。でも吉村は「ここは軽井沢よりもいい」と言っていました。豊かな緑と、吉村が好きな居酒屋もありますから。

清原 もう40年ほど三鷹にお住まいと聞いております。

津村 ええ、昭和44年からです。私にとってはここが終(つい)の住処(すみか)です。

除夜の鐘が鳴り出すと 夫婦そろって弁天様に初詣

清原 市長として大変ありがたいのは、津村先生、吉村先生の名作がここ三鷹の風土から生まれたことです。吉村先生の場合は、調査旅行に行かれることも数多くあったとは思いますが。

津村 あの人はよく取材に出かけましたが、二泊三日が限度でしたね。

清原 すぐに帰ってくるのは、奥様がいらっしゃるからではないですか。

津村 書斎が好きなのです。一番心が休まる場所だと言っていました。作家になる前は長く会社勤めをしていたので、朝食後に庭に建てた書斎に「出勤」して、昼食ができると、母屋に戻ってくる。午後にまた書斎に行き、夕飯の時には鍵を閉めて帰ってきました。

清原 そうでしたか。ところで、お正月にご夫婦でされていた習慣などはありましたか?

津村 除夜の鐘が鳴り始めると初詣に行きました。井の頭公園には弁天様がありますでしょ。

清原 池のほとりにありますね。ご夫婦おそろいで行くのですか?

津村 ええ、毎年二人で行っていました。

清原 実は井の頭公園には都市伝説のようなものがあり、弁天様は嫉妬深いから、仲のよいカップルが行くと間を引き裂かれると言われています。でも、お二人はずっと添い遂げられたのですね。

津村 弁天様は嫉妬深くないということですよね。

赤ん坊を背負いながら 茶箪笥(だんす)の上で小説を執筆

津村 作家夫妻が添い遂げるのは希有(けう)なことです。片方が隆盛だと片方の精神状態に影響する。同じ仕事といっても、お互いに取り組む題材が違うので助け合うことができませんし。

清原 それにもかかわらず、お二人の場合は、それぞれが文学賞を取られ、日本藝術院賞を受賞されています。秘訣はどこにあるのですか?

津村 吉村と結婚するときに約束してもらったのは、私が小説を書き続けられることでした。彼も「わかった、書かせる」と言ってくれたのですが、後から聞くとまさか本当に書くとは思っていなかったようなのです。ところが、アパートを転々として、六畳一間のアパートで暮らしていたころ、吉村の弟が贈ってくれたダブルベッドと吉村の机でほぼ一杯の部屋で、私は茶箪笥(だんす)の上に原稿用紙を広げて、生まれたばかりの息子を背負いながら立ったまま小説を書いていました。会社から帰宅してその光景を見た吉村は、「あぁ、この女は一生小説を書くだろうな」と諦めたんですって。

清原 それは吉村先生も腹をくくらざるを得ませんね(笑)。独身時代、津村先生は作家になるために結婚はしないと決めていたそうですが、吉村先生はどうやって説得されたのでしょうか。

津村 「作家になるなら何でも体験してみなくちゃダメだ。主婦になって、子どもを生み育てて、そういった経験がなければ小説なんて書けない」と言うのです。口がうまいですよね(笑)。

清原 でも津村先生は実際にお子さんを育てながら小説を書き続けられ、三鷹に転居されてからは益々花開かれました。きっと、三鷹の風土もお手伝いさせていただいたのですね。

回顧展を機に光を浴びた 二人の出会いの一句

清原 平成18年に吉村先生は亡くなられました。本当に残念な、悲しい別れだったと思います。奥様として大変な時期を三鷹の地でどのように過ごされましたか。

津村 3年半、吉村関係の仕事に明け暮れしていました。三鷹は文化の土壌が厚いところだと思います。自然に囲まれ、町も近い。太宰治や山本有三など、ものを書く人間がとても住みやすい場所です。吉村は、いわゆる文壇の付き合いがほとんどなく、一緒に飲みに行くのは編集者でした。かつての担当編集者たちが、定年を迎えた今でもよく我が家に集まってくださっています。

清原 編集者の方々も通い慣れた三鷹に、吉村先生亡き後も津村先生を訪ねていらっしゃるのですね。

津村 三鷹市では吉村の文学回顧展も開催していただきました。

清原 平成19年の10月ですね。

津村 15部しか刷らなかった私家版の句集の中の句を展示していただいたことがきっかけで、『炎天』という句集を出版することができました。

清原 その本を拝読して、吉村先生が本当に多くの俳句を残されていることに驚きました。編者である津村先生は、編集後記で、お二人の出会いにつながる素敵な俳句を紹介されていますね。

津村 「今日もまた桜の中の遅刻かな」。

清原 学習院時代、講義に遅刻をした吉村青年が俳句に詠み、俳文学の先生の机に置いた見事な遅刻届ですね。あまりにもおかしいので、先生が学習院短大の授業でその句を紹介した。そのクラスに津村さんがいた。

津村 そうです。私たちは女子だけですから、図々しい学生もいるものねぇと、大笑いしましたよ。

清原 その後、津村さんは小説を書きたいと文学の先生に相談する。その先生は文芸部の委員長に相談してごらんとおっしゃる。それが、「桜の中の遅刻かな」と詠んだ吉村青年だった。生涯の夫となる男性との出会いですね。

津村 結婚なんてしないつもりでしたのにね。

清原 私は、本当に赤い糸ってあるのだなと思いました。

教育と健康、文化が育む 住みやすいまちを目指して

清原 さて、平成22年は三鷹が市になって60年目にあたります。人間で言えば還暦、区切りの年です。その60歳を迎える三鷹市に期待することや、これからも続けてほしいことはありますか。

津村 子どもたちの学業の水準が全国平均を上回っていることを市の広報で読みました。三鷹市では小中一貫教育を実施していますね。それは思い切ったとてもよい取り組みだと思いますね。

清原 昨年度までに三鷹市では七つの中学校区すべてに、コミュニティ・スクール型の小中一貫教育を進める学園を創立しました。これから定着させ、教育の質を高めていきたいと思っています。

津村 それと、私は若い人に負けないぐらい健康で、足腰が丈夫です。それも三鷹の環境のお陰かと思います。駅に行くときは井の頭公園を必ず歩きますから。加えて文化のレベルが高いでしょう。ここで育てば、知らないうちにその文化を吸収できます。人が人らしく生活できる都内でも屈指の環境のよさを、ずっと残してほしいですね。

清原 私も、市民の皆様が何よりも健康で、この地域を愛して、三鷹のよいところを自然に受け止めながら発見していってもらえたらと願っています。今日は本当にありがとうございました。

津村節子さん
Setsuko Tsumura
昭和3(1928)年、福井県福井市生まれ。昭和26(1951)年、学習院女子短期大学文学科国文学専攻に入学、文芸部を創部し校友雑誌『はまゆふ』を創刊。大学文芸部の同人誌『赤繪』に参加し、吉村昭氏と知り合い、昭和28(1953)年に結婚。昭和34(1959)年、『華燭』を処女出版。昭和40(1965)年に『玩具』で第53回芥川賞を受賞する。平成10(1998)年、『智恵子飛ぶ』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、平成15(2003)年に日本藝術院会員。

清原慶子市長
Keiko Kiyohara
昭和26(1951)年生まれ。慶応義塾大学、同大学院で学んだ後、ルーテル学院大学文学部助教授・教授、東京工科大学メディア学部教授・学部長を経て、平成15(2003)年、第6代三鷹市長に就任(現在2期目)。社会保障審議会少子化対策特別部会委員など国の審議会委員を数多く務める。市民参加と協働を地域主権の原動力とした市政運営を進め、三鷹の自然・文化・歴史を大切にして、太宰治文学サロンなどを生かした魅力ある三鷹の創造に取り組んでいる。

※詳細はPDFをご覧ください。

みたか井心亭(せいしんてい)
昭和58年、当時この地にお住まいだった井上良則ご夫妻から土地の提供を受け、市が建設した本格的な茶室を備えた和風文化施設。市民公募により「井心亭」と命名された。茶道、華道などの文化活動の場として貸し出されているほか、毎月1回、落語会「寄席井心亭」も開かれる。庭内には太宰治ゆかりの百日紅(さるすべり)が移植されている。昭和63年開館。


※詳細はPDFをご覧ください。


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