緑と水の公園都市 三鷹市
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広報みたか2009年1月1日4・5面

■新春対談 「太宰治が生きたまち・三鷹」が伝えていくもの

今年は、作家・太宰治の生誕100年という記念の年です。太宰治は、昭和14(1939)年9月から亡くなる昭和23(1948)年6月まで三鷹に暮らし、この地で数々の珠玉の名作を生み出しました。三鷹市がその業績を顕彰して行う事業の一つ、太宰治賞の贈呈式に毎年ご出席いただいているのが、太宰治の長女として三鷹に生まれた、津島園子さん。お父様の思い出や三鷹での生活、三鷹市の文化事業などについて、市長を相手になごやかに語っていただきました。

津島園子さん Sonoko Tsushima
昭和16(1941)年、三鷹町下連雀に、作家・太宰治(本名・津島修治)と妻・美知子の長女として生まれる。三鷹には、太宰が亡くなる昭和23(1948)年まで暮らす。幼いころから親しんだピアノ演奏を今も趣味とするほか、結婚後に本格的に始めた油絵では、グループ展や、東京銀座、青森市での個展も開催している。これまで、太宰治賞や太宰治展などをはじめとする太宰治関連のさまざまな事業で三鷹市にご協力いただく。夫は、衆議院議員の津島雄二さん。

清原慶子市長 Keiko Kiyohara
昭和26(1951)年生まれ。慶応義塾大学、同大学院で学んだ後、ルーテル学院大学文学部助教授・教授、東京工科大学メディア学部教授・学部長を経て、平成15(2003)年、第6代三鷹市長に就任(現在2期目)。社会保障審議会少子化対策特別部会委員など国の審議会委員を数多く務める。市民参加と協働を地域主権の原動力とした市政運営を進め、三鷹の自然・文化・歴史を大切にして、太宰治文学サロンなどを生かした魅力ある三鷹の創造に取り組んでいる。

父・太宰治と過ごした三鷹の思い出

清原 津島さんには、毎年、太宰治賞の贈呈式で、受賞者に花束をお渡しいただいています。賞金も賞状もありますが、やはり太宰治さんの実の娘さんに祝福されるということが、受賞者にとっては何よりうれしいことではないかと思っています。

津島 こちらこそ、毎年お招きくださって、父ゆかりの賞の栄えある場に臨むことができて、とてもうれしく思っております。

清原 津島さんと三鷹市とのご縁は、太宰治賞に始まったわけではなくて、お生まれがそもそも三鷹ですよね。

津島 ええ。昭和14(1939)年に結婚した太宰は、同年に下連雀に越してまいりまして、16(1941)年に長女の私が生まれました。それまで不安定な生活をしていた太宰ですが、ようやく仕事も私生活も安定しつつあった時期だったと思います。そんなときに子どもを授かって、太宰にしてみれば本当にうれしかったのではないでしょうか。三鷹での健康的で家庭的な暮らしの中で、太宰は次々と明るい作品を書いています。

清原 当時は、ちょうど戦争もあって大変な時期だったと思いますが、三鷹で過ごされた幼少時代には、どんな思い出がありますか。

津島 あのころはまだ道路が舗装されていなくて、雨が降るとぬかるんでいましたから、いつもゴム長靴を履いて遊んでいたような思い出があります。家族そろってわが家の庭で撮った写真が残っていますが、その撮影のときも家の近くでゴム長靴を履いて遊んでいて、「写真を撮るからいらっしゃい」と呼ばれて父や母のもとへ駆けつけたように記憶しています。

清原 ご家族のことで、ほかにどんな思い出がおありですか。

津島 食糧難の時代でもありましたので、わが家で鶏を飼っていました。ひよこを庭で育てて、卵や肉が食卓へのぼりました。鶏をさばくのはいつも父の役目で、その作業が得意だったと、母は著書(津島美知子著『回想の太宰治』)に書いています。

清原 そうなんですか。お父様には、そんな一面もおありだったのですね。

父の死、そして生涯の趣味との出会い

津島 昭和23(1948)年6月に父が亡くなりますが、私はその年の4月に第四小学校に入学しています。入学式は4月5日でしたが、この日に関してあるエピソードが残っています。今、太宰治文学サロンに、太宰が武蔵野税務署に宛てた審査請求書が展示されていますよね。あれは昭和23年4月1日に提出されたものなのですが、税務署から「金の出入りを細かく書いてくるように」との指示があって、5日の私の入学式の帰りに母が武蔵野税務署に寄って再提出しているんです。太宰にどれくらい収入があるのか、どれくらい使っているのか、まったく知らされていない母は、当時いろいろ大変な思いをしたようです。母のそんな苦労も知らず、通い始めた学校が楽しくてしかたのない私は、毎日うきうきした気持ちで過ごしておりましたが。

清原 興味深いエピソードですね。しかし、お父様が早くに亡くなられて、お母様はもちろんのこと、津島さんも大きく生活が変わってしまったのではないですか。

津島 私のほかに、弟、妹の3人の子を抱えて生活が大変だということで、その年の12月に三鷹を離れて文京区の母の弟の家に世話になることになりました。

清原 そうですか。それは、ご家族の皆様もご苦労されたのでしょうね。

津島 でも、私にとっては楽しい出会いもありました。今も趣味として親しんでいるピアノです。母の妹で、私の叔母、愛子は、私が三鷹の家で生まれたときから、いつも親子のそばにいて、身の回りの世話をしたり、たくさんの写真を撮ってくれました。その叔母が、太宰の亡くなる三カ月前に病死してしまい、母は悲しみにくれます。ピアノが大好きだった叔母の思い出に、母の強い希望で、私はピアノを習い始めました。私は、母の妹を想う気持ちを裏切り、本格的にピアニストを目指せるほどには上達しませんでした。

清原 ご趣味といえば、津島さんは絵画も盛んに描いていらっしゃるそうですね。

津島 結婚後10年位経って、太宰の生まれ故郷である青森のご婦人たちのグループに入って、油絵を描き始めました。徐々に合同の展覧会や個展にも出品するようになり、最近では、青森市のタウン誌の表紙用に2年間、油絵を描いていました。

清原 作品を拝見すると、本当に素晴らしいですね。絵の才能というのは、お父様譲りなんでしょうか。太宰さんは、絵をお描きになることはありましたか。

津島 才能があったかどうかはわかりませんが、いたずら書きのような父の作品が何点か残っています。自宅では描かずに、お友だちのアトリエを訪ねては筆をとっていたようですね。

太宰治 文学サロンへの期待

清原 さて、昨年は、太宰治没後60年ということで、その業績を顕彰する事業をスタートさせました。3月に太宰治文学サロンをオープン。11月から12月にかけては、太宰治没後60年記念展を開催しました。文学サロンは、太宰さんも通われていた下連雀の酒屋さんの跡地に開設したもので、オープンから4カ月足らずで1万人ものお客様にお越しいただき、太宰文学の根強い人気に改めて驚いている次第です。

津島 太宰治文学サロンでは、太宰ゆかりの資料を、定期的に交換しながら展示なさっているようですね。このサロンは、まさしく太宰ゆかりの地にあるということで大きな意味がありますし、父の文学を愛してくださる全国の方々にとっての文字通りのサロンとして、今後ますます発展していってほしいですね。

清原 今年生誕100年を迎え、また最近では日本の近代文学に若い方の注目が集まっていますから、津島さんにもお父様に関連したご依頼が数多く寄せられているのでは。

津島 出版をはじめ、いろいろなお話があり、ありがたく思っております。太宰に関して新たな企画が今なお生まれたり、また、三鷹市で資料を展示していただけたりするのも、父の死後、散逸しそうな原稿や手紙などを、母が懸命に集めて整理してくれたおかげだと思っています。

清原 お父様はもちろん偉大な方ですが、お母様も本当に素晴らしい方だったのですね。

津島 苦労の多い人生だったと思いますが、母は作家・太宰治のよき理解者であり、心から尊敬していたのだろうと思います。

太宰文学の素晴らしさを伝える事業を

清原 これまでのお話に出ましたように、三鷹市では、太宰治賞や太宰治文学サロンを設けたり、記念展を開催したり、また、三鷹市を訪れる太宰ファンのみなさんのために、ゆかりの場所を紹介する案内板を設置するなど、太宰治ゆかりのまちとして積極的に文化事業を行っています。さらに、太宰さんの生誕の地である青森県の旧金木町が合併した五所川原市との連携を深めるための活動も進めているところです。五所川原市とは、生誕の地と多くの作品を遺された晩年の地とで、手をたずさえて太宰治文学の顕彰を行っていければと考えています。津島さんにも、こうした三鷹市の文化事業へのご理解をいただき、引き続きご協力いただければ幸いです。

津島 もちろんです。太宰治賞は純粋な文化事業であり、それを続けているのは本当に素晴らしいことだと感じています。三鷹市芸術文化振興財団というしっかりした組織を作って、文化事業に前向きに取り組んでいらっしゃることにも、本当に感心しております。先の没後60年記念展のときも、スタッフの方が細かい作業を一生懸命にやってくださり、また立派な図録も作っていただきました。このような市民の皆様や三鷹市のご尽力に対して、心から感謝したいと思います。

清原 私は、文学というものは、時を超えて永遠に生き続けるものだと思っています。特に、太宰文学は、人間の存在そのものに真摯に向き合った文学であり、時代も、国境も、民族も超えて共感しうる真理を描いています。その素晴らしい財産を、「太宰治が生きたまち・三鷹」としては、これからも末永く顕彰し、また広く伝えていきたいと思っています。本日は、どうもありがとうございました。

太宰治文学サロン
 昨年3月1日に、短編「十二月八日」にも店名が登場する三鷹駅近くの伊勢元酒店跡のビルの1階に開館。太宰ファンの交流の場にもなっている。下連雀3-16-14グランジャルダン三鷹1階/TEL26-9150/月曜日休館(月曜日が祝日の場合は開館し、翌日と翌々日が休館。新年は1月6日から開館)/午前10時〜午後5時30分/入館無料

※詳細はPDFをご覧ください。


【主】主催者 【人】対象・定員 【日】日時・期間 【所】場所・会場 【¥】費用(記載のないものは無料) 【物】持ち物 【申】申込方法 【問】問い合わせ 【託】託児あり

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