太宰治と三鷹

太宰に触れる 三鷹の風景を読む (広報みたか2008年1月1日掲載)

三鷹に住み、数々の傑作を生み出した太宰治。彼には、三鷹を舞台にした作品がいくつもあります。多くの教科書に登場する「走れメロス」にも、当時の三鷹の情景が映し出されているのではないかと言われています。
この機会に彼の作品に触れてみませんか。今の三鷹の風景と重ねて読むと、新しい発見があるかもしれません。

私は早速、三鷹の馴染のトンカツ屋に案内した。そこの女のひとが、私たちのテエブルに寄って来て、私の事を先生と呼んだので、……甚だ具合いのわるい思いをした。

「帰去来」(1943年)

本町通りの写真太宰の作品には、三鷹駅周辺の飲食店がたびたび登場します。また、「駅から、三曲りも四曲りもして歩いて二十分以上かかる畑地のまん中」、現在のみたか井心亭の近くには彼の居宅がありました。写真は太宰がよく歩いた本町通り。道沿いには太宰治文学サロンがあります。

吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。……坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。

「ヴィヨンの妻」(1947年)

井の頭公園の写真数々の太宰作品に登場する井の頭公園。『ヴィヨンの妻』に描かれているのは、戦時中に「池のはたの杉の木が、すっかり伐り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じ」の、今からは想像もつかない公園の姿です。

毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。ぶるぶる煮えたぎって落ちている。……ここは東京市外ではあるが、すぐ近くの井の頭公園も、東京名所の一つに数えられているのだから、この武蔵野の夕陽を東京八景の中に加入させたって、差支え無い。

「東京八景」(1941年)

陸橋から見た夕陽の写真写真は、三鷹電車庫の上に架かる跨線橋から見た夕陽。この陸橋は、太宰が好んで訪れた場所です。彼が、「メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い」と書いたとき、こんな夕陽が脳裏にあったのではないでしょうか。

私は、家の方角とは反対の、玉川上水の土堤のほうへ歩いていった。……玉川上水は深くゆるゆると流れて、両岸の桜は、もう葉桜になっていて真青に茂り合い、青い枝葉が両側から覆いかぶさり、青葉のトンネルのようである。

「乞食学生」(1940年)

玉川上水の写真当時の玉川上水は今と違って流れが速く、地元の人たちは「人喰い川」と呼んで恐れていたそうです。メロスが「ざんぶと流れに飛び込み、・・・押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来た」という濁流は、そんな玉川上水をイメージしたものかもしれません。


参考文献