中島飛行機三鷹研究所
戦時中、三菱と並ぶ日本の2大航空機メーカーの一つである中島飛行機の創設者・中島知久平は、群馬県の太田や小泉、東京都荻窪などに分散していた中島飛行機の軍用機開発部門を調布戦時中、三菱と並ぶ日本の2大航空機メーカーの一つである中島飛行機の創設者・中島知久平は、群馬県の太田や小泉、東京都荻窪などに分散していた中島飛行機の軍用機開発部門を調布飛行場に隣接する三鷹に統合し、さらに国家経営のため文系の分野も加えた総合研究所を設立するため、約60万坪の敷地を買収した。起工式は昭和16(1941)年12月8日、真珠湾攻撃の日と偶然重なった。
しかし戦局の悪化で知久平の構想は実現せず、昭和19(1944)年初めごろ中島飛行機の陸軍機体開発部門、陸海軍エンジン開発部門の一部のみがここに移転し、高高度戦闘機・キ87、離陸すると車輪を落とすことが想定されていた特殊攻撃機・キ115「剣」などを開発したが、いずれも実用化前に終戦を迎えた。
- 所在地
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東京都三鷹市大沢3-10