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戦争遺跡・平和スポット

関前三丁目交差点付近(空襲被災地)

五日市街道と都道の調布保谷線が交わる武蔵野市「関前三丁目交差点」周辺は、空襲による犠牲者が多かった場所である。まず、中島飛行機武蔵製作所を目標にした第2回目の空襲である1944(昭和19)年12月3日には、現在のコンビニエンスストアーの駐車スペースあたりで、2家族10名が農家の庭先に作られた防空壕内で爆死した。これは武蔵野町民の最初の空襲犠牲者だった。警防団員をしていた父親と三鷹・新川にあった正田飛行機の食堂に勤めていた長女の2人だけが生き残り、家族・親族12名中10名が亡くなる悲劇であった。次に、翌1945(昭和20)年4月12日の空襲では、関前三丁目交差点から南側一帯に1トン爆弾が十数個落ち、高射砲陣地の兵士ら30名近くが亡くなった。さらには、この地域の最後の空襲である終戦の1週間前にあたる8月8日には、五日市街道をまたいで遊歩道(当時は引込線)を南へ入ってすぐあたりに1トン爆弾が落ち、一家5名が防空壕内で亡くなったほか、延命寺(現在は武蔵野市八幡町1丁目。当時は関前)の近くに、3月10日の東京大空襲で焼け出されて疎開し、屋敷を借りて住んでいた夫婦と子ども3名の家族5名がこの地で犠牲となる悲劇も起きた。

所在地

東京都武蔵野市関前3-27