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戦争遺跡・平和スポット

掩体壕 大沢1号・大沢2号

【平和メモリアルスポット(三鷹市)】

アジア太平洋戦争末期、アメリカ軍を中心とする連合国軍の日本本土上陸は必至の情勢となると、陸軍は「本土決戦」に備え、昭和19(1944)年には航空兵力の温存のために飛行場周辺に、敵機の空襲から戦闘機を隠し、保護するために掩体壕(正式名称は掩体)を多数構築した。

調布飛行場では、鉄筋コンクリート造りの屋根のある「有蓋掩体」約30基、コの字型の土塁に竹や杉枝などで覆うだけの「無蓋掩体」約30基を急造した。作業には植木職人や勤労動員学徒が使われた。

掩体壕は日本全国および植民地だった朝鮮半島などの軍用飛行場周辺に合計1000基前後が設置され、いまも日本国内だけでも約240基が残存しているという。戦後、これらは無用の長物となり、多くは取り壊されたが、調布飛行場周辺では4基が現存する。このうち2基が三鷹市大沢の都立武蔵野の森公園内に保存されている。

三鷹市大沢に残る2基は、都立武蔵野の森公園内の北東部に位置する。「大沢1号」と名付けられた南向きの掩体壕は、崩落しないように内部に発泡スチロールを充填する保存処理が施され、掩体壕の開口部にあたる表面には、格納されていた三式戦闘機「飛燕」の絵が描かれ、イメージしやすい。開口部の幅が約12m、長さも約12m、高さ4m弱の扇型で後ろの部分も排気のため開いている。現状を見ると地面から3m程度の高さしかないが、当時は内部が掘り下げられていたと推定される。掩体壕に向かって右手に説明板とともに10分の1の「飛燕」を格納した掩体壕の模型があり、イメージを豊かにしてくれる。

一方、大沢2号は、北向きの状態で、こちらは建設時のまま、普段はフェンスに囲まれた状態で保存されている。内部の天井は、朝鮮戦争の時代に鉄筋が抜き取られたり、小石や砂利を多く含んだ粗悪なコンクリートが剥き出しとなって劣化し、崩落の危険は否めない。なお、大沢2号の北側でも、調布飛行場門柱の説明でも触れた排水溝がよく観察できる。

所在地

東京都三鷹市大沢6-11-20

アクセス・注意事項

都立武蔵野の森公園