昭和34年、当時の市長鈴木平三郎は「公共下水道無き都市は地上に如何なる文化施設を持つもそれはスラムである」との考えで、まだ全国的にも関心の薄かった下水道整備にいち早く着手し、48年に全国初の下水道普及率100%を達成しました。