【質問】
山本有三記念館の改築について知りたいのですが。
【回答】
有三が和室の書斎として改装した2階中央の部屋は、西隣の洋室書斎と連携して用いていたと思われます。出入口は廊下に向かって東西2方向にあります。和室は、昭和初期の数寄屋風書院で、天井や床柱に自然木が巧みに用いられています。窓側は付書院風で、屋根の傾斜に合わせて天井は茶室風になっています。障子の桟などは菱形に組まれていて、玄関中扉に残るガラスのシンプルな菱形模様と共通します。戦後の進駐軍接収時代に荒れた使い方をされたこの和室は、1957(昭和32)年に、邸南側の庭に新築した息子・山本有一邸に移築されました。その後、湯河原に移った有三は、三鷹の家を東京都に寄贈しましたが、上京の折は、この思い出深い部屋に寝起きしました。解体・移築から30年近く経った1985(昭和60)年、三鷹市へ移管の際に再移築されています。
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